SSブログ

「菊と刀」は」プロパガンダだった [国際社会]

アメリカの文化人類学者のルース・ベネディクトなども「菊と刀」という一見学術的に見える著書で西洋プロテスタント系文化を「罪の文化」guilt culture と呼び、「恥の文化」shame culture と呼ぶ日本文化と呼ぶ日本文化と区別しました。
罪の文化では人は内面的な罪の自覚に基づいて行動する、それに対して恥の文化では人は世間という外面的強制力を意識して行動する。恥とは他人の批判に対する反応である、という見方です。
~中略~
ベネディクトは初めに結論ありきの二分法で、それに都合の良いデータを集めた、彼女はアメリカの御用学者としてはきわめて有能であった、しかし字義通り「恥知らず」の女であった、というのが私の見立てです。
 ベネディクトの主張には日本でも賛否両論が出ました。長谷川松治が一九四八年に訳した「菊と刀」はその後、社会思想社の現代教養文庫の中に入り版を重ねましたが、定訳版には東大法学部教授の川島武宣が「評価と批判」と題した一九四九年執筆の長文が入っています。
「本書に描かれまた分析されたわれわれ自身の生活は、まさにわれわれのみにくい姿を赤裸々に白日の下にされすものであって、われわれに深い反省を迫ってやまない」
 これこそ当時はやった日本人の自己卑下論そのもので、そこに日本人批判はあれ、ベネディクト批判はありません。~中略~

 興味深かったのは在日のアメリカ人政治学者ダグラス・ラミスが「内なる外国―「菊と刀」再考」(時事通信社、一九八一年〕で述べたベネディクトに対する感想です。
一読した際は「この本は、自分がアメリカ人でよかったと私を大喜びさせることができた」。しかし「「菊と刀」の主な結論は、米国は日本人を戦争で敗北させ、その文化を非正当化することによって日本国民に多大の利益を与えたというものだ」「(日本は)アメリカにとって当然敵となるべき国、理論的にもアメリカが第二次大戦で打ち負かして当然至極であるような国である。それは市場や資源を求める帝国主義的競争相手などでは決してなく、民主主義と自由の名においてのみ戦争をする国家としての自己イメージをアメリカ人が持ちつづけるために、日本があらねばならなかった国なのである」。
ベネディクトは日本に勝利した米国の文化的優越を立証するためにこの本を書いたのだとラミスは言いました。

長野晃子氏は「「恥の文化」という神話」(思想社、二〇〇九年)で「菊と刀」は敗戦国日本を文化的に断罪すべく功名に練り上げられたプロパガンダの書だった、という側面があることを、やや誇張はありますが、指摘しています。


日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P134

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書






DSC_0717 (Small).JPG達身寺

P156
アメリカ人の中には、アメリカが原爆を投下したからには日本がそれだけ悪かったはずだ、という考え方をしないと心が落ち着かない人もいる。それもあって戦争中の日本の残虐行為をことさらにいいつのる人も出てくる。
しかし長崎市長の立場にある日本人までもがその論理に引っかかった時には、私は真に情けない気持ちがしました。
過去の歴史解釈にまつわる戦勝国側の決まり文句(クリシェ)の力はそれほど強いものです。戦勝国アメリカは軍事的なだけでなく、宣伝的にも勝利したのです。
 それだけに、戦争に負けたはずの日本が経済大国として復活した時の怨みは凄まじかった。物質的な次元では、あめりかの自動車産業は壊滅し、精神的な次元でも、高級な文明は西洋だけのものであるとする神話は崩壊しました。
自分たちのアイデンティティが揺らいで危機意識が生じる。そうなればかっての優越感にすがりたくなる。そのために生じる陰湿な反感や反動、ジャパン・バッシングもあることを忘れてはなりません。

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

日本人に生まれて、まあよかった (新潮新書)

  • 作者: 平川 祐弘
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/05/16
  • メディア: 新書



タグ:平川 祐弘
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント