靖国神社 [日本(人)]
靖国神社の意味を外国人に伝えるには、マッカーサー司令官に求められて意見書を提出したイエズス会のドイツ人神父ブルーノ・ビッターとメリノール宣教会のアメリカ人神父パトリック・バーンの見解が貴重です。(志村辰弥「教会秘話」―太平洋戦争をめぐって)参照)。
~中略~
西洋人神父が靖国神社の存続についてマッカーサー元帥に意見書を提出し「いかなる国民も、祖国のために身命を賭した人びとに対して、尊敬を表し、感謝を献げることは、大切な義務であり、また権利でもあります」と述べたことを世界に人びとが想起してしてくださることを切望してやみません。
私は首相の靖国神社参拝が憲法の政教分離に反するという説を聞くと、現行の日本憲法は唯物論に立脚し、無神論を国民に強要するのか、という訝(いぶか)しい気持ちに襲われます。
死者を弔いその安息を祈ること自体がすでに広義の宗教的行為である以上(米国憲法も政教分離を規定していますが、ヨーロッパ各地にある米軍墓地には十字架が立っているものもあります〕、他宗教を排除しない靖国の社が日本国民の戦死者を追悼する場となるのはきわめて自然な選択だと思います。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P82
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