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働き者の国は栄える [倫理]

 国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品(1)のすべてを本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに、労働の直接の生産物であるか、またはその生産物によって多の国民から購入したものである。
 したがって、この生産物またはそれで購入されるものの、これを消費するはずの人々の数に対して占める割合が大きいか小さいかにおうじて、国民が必要とするすべての必需品と便益品が十分に供給されるかどうかが決まるであろう。
 だがこの割合は、どの国民の場合も、次の二つの事情によって左右されるにちがいない。すなわち第一は、国民の労働がふつう行われるさいの熟練、技能、判断力の程度如何であり、また第二は、有用な労働に従事する人々の数と、そのような労働に従事しない人々の数との割合である。
どの国でも、地味、気候、国土の大きさがどうであれ、国民にたいする年々の供給が豊かであるか乏しいかは、その特定の状況のもとで、右の二つの事情に依存するにちがいない。


国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P1



(1)「国富論」が出現するまでは、富は、もっぱら、金銀や「財宝」のかたちで、とらえられていた。
スミスは、このような古い富の理解の仕方を大きく転換させ、人間の日常生活にとっての必需品と便益品こそが国民の富であること、そしてそれらは年々生産され年々消費されるものであるから、富こそは、国民の「年々の労働」によってつくられなければならないものであることをはじめて明らかにした。
ここに「国民の富」という近代的概念が確立したのである。




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