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貨幣経済のはじまり [雑学]

  肉屋はその店に自分が消費する以上に多くの肉をもっており、酒屋とパン屋はその肉の一部をそれぞれ購買したいと思っている。ところが、かれらはそれぞれの職業の生産物のほかには、交換に提供するものをもっていないし、また肉屋にはすでに、かれがさしあたり必要とするパンとビールはすべて手持ちがあるとしよう。
この場合には、かれらのあいだにはどんな交換も行われない。肉屋は、かれらの商人になることができないし、またかれらも肉屋の顧客となることができない。
こういうわけで、この人たちは、すべておたがいに相互の役に立つことが少ないのである。
このような事態の不便を避けるために、社会のあらゆる時代の世事にたけた人たちは、分業がはじめて確立されたあと、おのずから事態を次のようなやり方で処理しようとつとめたにちがいない。
すなわち、世事にたけた人は、自分自身の勤労の特定の生産物のほかに、ほとんどの人がかれらの勤労の生産物と交換するのを拒否しないだろうと考えられるような、なんらか特定の商品の一定量を、いつも手元にもっているとういうやり方である。
 おそらくこの目的のために、さまざまな商品がつぐつぎと考えられ、また使用されてきたようだ。
社会の未開時代には、家畜(牛や羊)が交易の用具であったといわれている。家畜はそのような用具としてはたいへん不便なものだったにちがいないが、それでも昔は、物の価値が、それと交換される家畜の頭数にしたがって示された場合が多い。~中略~
しかしながら、どの国においても人々は、反対しようのない理由から、貨幣として用いるために、他のあらゆる商品に勝るものとして、最終的に金属類を選ぶことにきめたように思われる。
金属類ほどもちのよいものは他にないのであって、金属は他のどんな商品にくらべても保存による消耗が少ないばかりか、なんの損失もなしに任意の数の部分に分割できるし、またこの分割部分は、損耗なしに溶解によってふたたび容易にひとつにすることもできる。


国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P40





興福寺 (17).JPG興福寺


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