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四国は尾根でつながっている [雑学]


街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/09/05
  • メディア: 文庫

  龍馬追跡に終止符を打った私たちは松山市を目指した。檮原町の中心地から松山市までは国道四四〇号を経由し、国道三三号で約二時間。山間を貫く高架やトンネルが舗装され、快適だ。山の中腹に小さな集落がいくつも点在している。
「あんな山奥にも家があるんだなぁ」と不思議そうにいう。
稲作を中心に生活が組み立てられる日本列島の農村は、川を軸に形成されている。川岸を上がると道があり稲田があり、畑があって山際に集落、そして森がある。山奥は野獣や山賊、天狗の領域だから、里人は恐れてめったに入らなかった。
 ところが四国山間地においてはこの領域が度々、逆転するのだ。
「四国の山は尾根でつながっているので、尾根道を縦走できるという特徴があるんです」
と私は正面の山を眺めながら説明した。
 尾根道が主要道で、尾根の枝道に沿って下ってゆくと集落があるのだ。
 集落はおよそ山の中腹にあり、周りはかつて焼き畑が広がっていた。住民ははるか谷底の川まで降りることはなかったという。
つまり、人と情報の出入り口は川ではなく、尾根なのだ。
「いったい、どういうわけだんだね」としきりに首をひねっている。
「稲作に依存しない社会の姿なんですよ」と私は答えた。
 焼き畑とは森を焼いて麦やアワ、ヒエ、ソバ、トウキビなどの穀物を育てる農業で、稲作よりも古く、アジアの熱帯雨林や照葉樹林で広く行われてきた。
「高知県と愛媛県境の山中では平成に入るまで続けられていたそうです」
「ほう・・・・」
「どうして川の側に住まなかったんだ?」
「四国山中はV字の深い谷なので午前中は霧がたまり、日照時間が短いんです。集落のある辺りまで上がると明るくて見晴らしがよく、気分がいいですよ。山々が波のように見えましてね、飛んで行ってしまいたくなるくらいです」

山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P123

 


山折哲雄の新・四国遍路

山折哲雄の新・四国遍路

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: ペーパーバック

 

DSC_1756 (Small).JPG 

土佐市 35番清滝寺

P126
 車は国道四四〇号から国道三三号へ合流した。国道三三号は仁淀川上流の久万川に沿ってV字谷の底を縫うように走る。鉛線にほとんど集落はない。
「稲作農耕と焼き畑では人の心も違うのか?」
「稲作農耕地帯は、集団と集団が微妙な力関係でバランスをとりながら社会全体を運営するので、どうしても全体主義というか、封建的になりがちで、人間関係の上下や手続きに敏感なように感じます。ところがもともと焼き畑をしていた地域は家族主義で、人当たりもおおらかな感じがします。が、妙に頑固なところがありまして・・・・」
「狸と狐はそれに置き換えたのかなぁ」と氏はつぶやくようにいった。
「狐は稲作の神だが、稲作は鉄と封建制度を伴って中国大陸から日本列島へ入ってきたんだ。狸はっそれ以前から続いていた森林文化の象徴・・・・、とすると」

P83
 四国にはこんな民話が残っている。
「昔、昔。狸と狐が喧嘩ばかりしていた。そこで弘法大師が狐の一族にいうたんじゃ。瀬戸内海に鉄の橋が架かるまで、四国から出て行け!と」
 四国は弘法大師空海の故郷だ。西日本最高峰の石鎚山から海辺まで、お大師さまの伝説に満ちている。天孫降臨した天つ神系よりも土着の国つ神系の神々を祀る神社が多い。赤い鳥居をくぐると、狐ではなく狸が祀られ、山奥には天狗伝説が息づく。神と仏、狸と天狗が、平然とした表情で共生しているのである。

P128
「(住人注;四国は)尾根道と尾根道の交差点に市場が発達したそうです。そこで種の交換をしていたようです。こうしてより優秀な種が選別されていったのでしょう」
「市は山の上にあったんだな」
「さらに尾根道の交差点を辿りながらどんどん高いところを目指して行くと、西日本最高峰の石鎚山に行き着きます。そこは日本七霊山の一つで山岳修験道の聖地です。七月一日から十日までは全国から参拝者が訪れる石鎚神社の夏季例大祭”お山開き”が行なわれますが、古くは”お山市”といわれたそうです。石鎚山は四国周辺の漁師さんからの信仰もあつく、小山開きは山と野と海の人たちが合流し、交流する機会でもあったのです。海の人たちは銭を山に落とし、山の人たちは茶や薬草、干し柿などを提供しました」
「四国や山陽、北九州などでは十三歳から十五歳になると通過儀礼として村の大人が石鎚山に連れて行っていたそうです。初めて石鎚山に登ることを”初山を踏む”というのですが、男子は初山を踏んで田畑が持てたり、嫁がもらえたそうです」


 

山折哲雄の新・四国遍路

山折哲雄の新・四国遍路

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: ペーパーバック

 

 

DSC_0049 (Small).JPG

石鎚山

 樫本さんは、少年の表情にかえっている。
「わしのお祖母(ばあ)さんが、夜、浜へゆくと、海のタヌキが大ぜいで灯をつけて出て来よりましてな」
べつにいたずらはしないが、そんな光景をたしかに見て、孫の樫本さんに話されたという。
~中略~
 四国はキツネの民話がほとんどなく、タヌキばなしで充満している。讃岐の禿狸、伊予の八百八狸、さらに阿波へゆくと、タヌキにも何左衛門とか何兵衛とかという名ある者ががいて、あちこちの山に陣をかまえ、たがいに多数の郎党をひきい、ついには何河原で合戦に及んだりする、淡路は、ナヌキについては濃厚に四国の影響をうけているのである。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)

P147




街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/09/05
  • メディア: 文庫

 


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