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幡多 [雑学]

 宿毛市から足摺岬、四万十市の四万十川流域にかけての地域を幡多といい、土佐や伊予とは一線を画した独自の文化を育んできた。サンフランシスコ講和条約を結んだ吉田茂の実父、竹内綱は宿毛出身の武士で戊辰戦争に参戦後、板垣退助、後藤象二郎らと自由民権運動の闘士として活躍。~中略~
 また綱の長男で茂の兄、竹内明太郎は小松製作所の創設者で、日産自動車の前身、快進社を設立したほか、早稲田大学理工学部を創設するなど、工業立国・日本の礎を築いた。日本人離れした、ともいえる網や明太郎、茂のスケール感は、黒潮の通うこの土地の風土に起因しているのだろうか。


山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P136


山折哲雄の新・四国遍路

山折哲雄の新・四国遍路

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: ペーパーバック

 


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P137
「すくも」とは藻屑、または枯れた葦という意味で、「宿毛」という地名は海水の入った釜を藻屑で焚いたことに由来するらしい。つまり、塩の産地だったのだ。室町時代初期になると土佐国司の一条家が宿毛湾に埠頭を築き、盛んに対明貿易を行ったため、中国人や諸国の商人でにぎわったという。
戦国時代には土佐を征した長曾我部家の所領となり、江戸時代になって山内家が治めた。
海の道で全国はおろか中国大陸ともつながり、文化を蓄積していたのだ。

P141
 足摺岬の西約五キロにある景勝地「臼碆」は黒潮が日本で最初に接岸する磯といわれ、太平洋を見晴らす断崖の上に龍宮神社が祀られている。ウスバエのウスは渦、ハエは南風を意味するのだろう。地元、土佐清水市の観光案内によると龍宮神社は豊漁の神様で、昔、漁師の婦人たちが社殿の前で着物の裾を捲り上げ、足を見せて大漁を祈願し、願いがかなうとお礼参りで大胆に裾をたくし上げて、陰部を露出する―とあった。驚くべき祈願法である。
 ところが、田村会長の聞き取り調査によると、婦人たちが裾を捲り上げる理由は切実だった。
 川のように流れる黒潮は古来から、漁師たちを情け容赦なく海の彼方へ連れ去っていくことも度々だった。家族を連れ去られ、悲しんだのは漁師の婦人たちである。婦人たちは行方不明になった夫の無事を神仏に祈願したが、それでもかなわぬ時は、黒潮が接岸する臼碆で仁王立ちとなり、海に向かって裾を捲り、露出したというのだ。まさに奥の手だったのだ。「ここに帰っておいで」という意味なのか・・・・!?
「いかにも南方古俗ですね」と、私は感動していた。頭には天の岩戸に隠れた天照大御神を呼び戻すため、陰部を露出して躍ったアマノウズメの神話が浮かんでいた。アマノウズメは、神がかりして、詔を告げるシャーマンの姿そのものであり、芸能のルーツともいわれる。


 

山折哲雄の新・四国遍路

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