大山祗神社 [雑学]
平安時代に「日本総鎮守」とされ、深い信仰を集めてきた大三島(愛媛県今治市)の大山祗神社には、国宝や重要文化財が数多く集まっています。
日本の総菩提寺は高野山(和歌山県高野町)ですが、大山祗神社は海の神、山の神を統合する日本総鎮守なんですね。
山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
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大山祗神社は山と海の神、オオヤマツミノカミを祭神とし、古来、海賊衆の氏神とされた。境内にそびえる樹齢二千年を超える大楠が御神木として祀られ、日本最古の歴史書「古事記」で神武天皇が統制する際、瀬戸内海を案内した小千命(おちのみこと)が植えたと伝えられる。
伊予の海賊衆のことを伊予水軍ともいう。伊予水軍は小千命を祖に越智氏、河野氏、村上氏、惣那氏など、平安時代から戦国時代の終わり頃まで津々浦々に割拠し、情報と銭を動かした。
また、航行する船に対して通行税を求め、安全を保証したが、従わなければ襲撃することもあった。製塩や操船、造船技術に長けた技術者集団として中国大陸や朝鮮半島とも古くから交わった。
そもそも農耕の民とは道理のヘソが少し違うのである。
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同神社の宝物館に展示される古地図によると、かつてはその辺りにまでさざ波が打ち寄せ、船がつながれていたようだ。参道は西から東へと貫かれている。
つまり、参道から向かって太陽は本殿の背後から昇り、ご神木を真上から照らし、やがて瀬戸内海へ沈むのである。~中略~
瀬戸内に暮らす海の民たちは、西から楠が茂る白砂を踏んで氏神であるオオヤマツミノカミに参拝していたのである。
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奈良で一番古い神社の一つに春日大社(奈良市)があります。ここには社が五殿あり、一殿から四殿までは藤原氏の氏神で南を向いていますが、若宮の五殿だけは西を向いている。
奈良の平城京も京都の平安京も南向きです。これは「天子南面す」という中国の思想で、天子というのは北極星を背負い、南を向いて政治をするという意味です。
ところが、中国の影響を受ける以前の日本の伝統的な社というのは、西か東を向いています。日本は農耕社会ですから太陽と月の恵みを中心に世の中を考え、統治するという仕組みができていた。
そのため、東西の軸を大切にしたんですね。一方、中国大陸では北極星を中心とした南北の軸に基づいた世界観が優勢でした。
このため、唐の都に倣ったとされる平城京が造られた時、日本の伝統的な寺社はすべて南を向かせられたのだろうと私は考えています。
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