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歴史と郷土愛 [所感]

  今年の大河ドラマは「花もゆ」という、明治維新で活躍した吉田松陰を育てた杉家の四女  文(ふみ)を中心に、家族の絆と松陰の志を継いでいった若者たちの青春群像を描くドラマだそうである。
吉田松陰は住人がわざわざ言うまでもなく、明治維新の精神的指導者・理論者として知られ、住人も敬愛している人物の一人である。黒田官兵衛に続き、大変楽しみにしている。

近年の大河ドラマには、地方自治体などの大人の事情もかなり絡んでいるようであるが、そもそも歴史として残る「事実」といわれるものの多くは、敗者の言い分ではないらしい。「歴史の真実はゆがめられている可能性がある」、と住人も思う。
 大河ドラマ「八重の桜」をご覧になった会津の方はあの番組をどうお感じになっただろうか。きっと会津では、郷土の歴史が連綿と語り継がれており、これからも語り継がれるのであろう、と想像する。会津の方々が 自分やそう遠くない自分の先祖の実感としてあの番組が完全に腑に落ちたかどうか、住人としては興味のあるところである。


DSC_5337 (Small).JPG静泰院

 以前、市民公開フォーラムで養老孟司氏をお招きしたときのことである。養老氏は住人の敬愛する作家(解剖学者)のひとりであり、お会いできることは住人にとって大変名誉なことであった。
 その時、氏が「北九州の小笠原藩は長州に負けて、香春(福岡県田川郡香春町)に敗走した。・・・・」というような旨のことをおっしゃった。
氏の博識には常々敬服しており、小倉の歴史を御存知であったことはうれしかった。
というのも、現在門司にお住いのどれくらいの方が、門司の歴史を御存知であろうか。ほとんどご存じないのではなかろうか。
氏には特段の深い意味はなかったであろうし、モノの味方の一例としての歴史的事実を引用されたのであろう。鎌倉市ご出身の氏にとっては 本で読んだ幕末の一つのできごとに過ぎなかったであろう。
しかし、目の前に立っている若輩者(馬寄村の住人)にとって、小倉口戦争で、山形有朋に田畑を荒らされたのは曽祖父であり、一方、住人の母の実家は香春であろうことまでは、想定されていなかったかもしれない。確認したわけではないので、氏の本意は不明である。氏にとっては単なる歴史かもしれないが、当事者にとってはそう昔でない(曽祖父あたりの)できごとであることを認識されていただろうか。
  勿論歴史の流れの中で、明治維新へ向かう長州藩の働きは史実の語る通りであろうし、その日本国にとっての貢献大である。住人自身長州に恨みをもつ者でもなく、もちろん萩や下関には昵懇の仲の知人が多くいる。
曽祖父はただの土百姓であり、どちら(小笠原藩と長州藩)かに肩入れしたような形跡はないし、歴史に対しての影響は皆無であったことはほぼ間違いない。と同時にこの藤松の地がゲリラ戦の戦場になっていたことも間違いないようである。

このことから、住人が思うことは、「たかだが150年ほど前のことですら忘れ去られていくものであれば、1700年前の歴史などは 物語かもしれない。特に敗者側の歴史は。」ということである。
「京都や奈良など古代からの大都会は文字として証拠がのこっている」、とか、「現代人の歴史に対する認識が希薄で忘れやすいのに対し、昔のひとはしっかり覚えていたのだ。」とも考えられるが、どうも歴史というものはかなりのバイアスがかかり、注意しないと真実にたどり着けない、と思った方がよさそうである。当事者の眼の黒いうちには妙なことを言えないし、歴史として熟成されるには多少の時間が必要であり、代が変わり、熱が冷めた後、政治や声の大きい者などの様々な思惑や事実誤認が加わって「歴史」になると思われる。
たとえば、空海に関する各地の伝承などはもちろん史実もあろうが、メルヘンとしてすなおに受け取るほうがよさそうである。
大河ドラマもドラマなのであるから、「事実関係はどのうのこうの」と目くじら立てずに純粋にホームドラマとして楽しめばよいのであろう。

メルヘンでもよいのだが、郷土史が語られなくなった今日、「郷土愛を持とう」と言われても、多くの都市の住人にとっては、ちょっと難しいのではなかろうか。北九州、特に門司は明治以降に、大量の人口流入で形成された都市であるので、「郷土愛」といわれてもねエーというのがおおかたの住民の感想ではなかろうか。
高杉晋作の実家では、維新後「高杉家」というだけで「藩を取り潰した家」として白眼視され、嫁の貰い手がなかったと聞いた。まだ、長州藩の匂いが残っているからであろう。
当事者にとって消したい歴史もあるだろうが、住人にとっては歴史が今につながっている萩、山口の皆さんがうらやましい。

歴史に無関心でいると、今に周辺国にいいように歴史を書き換えられるかもしれない。

無知な馬寄村の住人の初寝言である。


 歴史を読む者は、何年もわたって醸成され決行された事件の顛末を数分、数十分の間に見ることができる。何十年にわたる偉人の業績を一日のうちに読むことも容易だ。そこには、この世をまぎらわす身辺些事を除外除去した時代の本流がズバリと描かれている。
このお蔭で、事象や人物を短時間で理解でき史上の多くの事例を知ることもできる。
~中略~
 しかし、歴史が「短縮」され「単純化」されている便利が、しばしば読者に重大な誤解を与えることもまた指摘しておかねばなるまい。
その一つは、歴史は「短縮」され「単純化」されているが故に、歴史の中に生きた人物の悩みと迷いを十分に伝えないことだ。
そして第二には―より重要なことだが―歴史の読者は事件の結末を知っているが、歴史のなかに生きた人々はそれを知らなかった、ということである。
 歴史の読者は、その結果を知る故に、最後の勝者をはじめから美化するし、最終的な成功例を当然そうなることのように考える。そこには、身辺些事に悩まされつつわからぬ結果に脅え続けた「歴史に生きた人間」の苦悩は伝わって来ないのだ。

歴史からの発想―停滞と拘束からいかに脱するか
堺屋 太一(著)
日本経済新聞社 (2004/3/2)
P27







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