軍神 [日本(人)]
生き身の人間が、その地上における功績によって神になりうるというのは、日本人が考え出した天才的な発明のひとつである。
しかし、戦前の軍部の発明ではない。
天正年間、織田信長に謁したローマの宣教師は、おどろいてその教皇庁に書きおくっている、「この英雄は無神論者だが、死後、自分が神になることを正気で考えている」。
自分自身が神になるのは信長の発明だが、その衣鉢をついだ秀吉も、神になりたかった。~中略~ 秀吉の遺体はそのことばどおりにあつかわれて、京の東山の一峰阿弥陀ヶ峰の山頂にほうむられた。やがてかれは、後陽成天皇によって、豊国大名神の神号をあたえられ、神の座に列した。
ところがこの神は不幸な神であった。ほどなく家康が、秀吉の遺児秀頼をほろぼして天下を平定するとともに、阿弥陀ヶ原の廟所をうちこわし、天皇にねがって秀吉の神であることをとり消してしまったからである。
歴史のユーモアは、とり消した家康が、そのあと秀吉にかわって死後自分が神になってしまったことである。日光に廟所がいとなまれ、東照大権現という神号がおくられ、神列にくわわった(もっとも、徳川家がほろぶとともに明治政府は、秀吉の神たることを復活させている)。
明治このかた、大戦がおこるたびに、軍部は軍神をつくって、その像を陣頭にかかげ、国民の戦意のをあおるのが例になった。最初はたれの知恵から出たものかはわからないが、もっとも安あがりの軍需資源といっていい。
~後略
(昭和37年6月)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P170
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