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禅の世界 [宗教]

  ある日のこと釈迦牟尼仏が、聴衆が多数に集まっている中央の説法の座についた。
大衆は今日もありがたいお話が聞けるものと思い、緊張して釈尊の口許を見守っていた。釈尊は一言も発せず、会座の前に供えてあった一枝の花を取り、目の高さにもち上げて、二本の指でその花を何遍か拈った。
だれもそれが何の意味を示すか全然理解しなかったが、迦葉(かしょう)尊者はやがてにこっと微笑した。拈華微笑(ねんげみしょう)という。
その微笑を見た釈尊はすかさず、「今わたしが考えているこの法門を汝に付属する」といった時に、禅が釈尊から迦葉に伝わったものなのである。
これは文字通り以心伝心で、相互の心の触れ合いだけで重大な取り引きが行なわれ、言葉や文字などは一切使用しなかった。それで禅宗では、
 不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
といい、経典とか解釈とかいうものを少しも重視せず、これらの文献は月を指す指のようなもので、最初に月ははどこにあり、どれが月であるか全く知らない時は、「あれが月だ」と指さす指が必要であるが、一度真如の月を知った以上、指は重要性がないのと同じように、究寛の目的である宇宙の真理を知るのには経文や仏画や仏像もそれほど重要性がないと説くのである。
それで「不立文字」という。釈尊の説法によらず別に心と心との触れ合いで重大な取引が完成したから「教外別伝」といい、直接に心と心の取り引きがあるから「直指人心」という。
そして宗教的最後の目的である「見性成仏」に達成するのが、禅の根本的な考え方であって、仏教の各派の行き方や考え方と全然異なるものをもっているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P179



伊勢神宮 内宮 (79).JPG伊勢神宮 内宮




(住人注;百丈)禅師が八十歳のとき、体調を案じた弟子たちが作務を休んでくれるよう老師に提言したが聞き入れてもらえず、そのため弟子たちは老師の作務の道具を隠してしまったらしい。
すると老師、三日も坐したまま食事もとらない。それで弟子が理由を訊ねると、「一日作(いちじつな)さざれば一日食わず」と答えたという。
 この話を浅く読むと、「働かざる者、食うべからず」と似たように受けとられる危険がある。
しかしこの言葉は、あくまでも自律的なものであるからこそ意味がある。
どんな労働も三昧になれば快感を引き出す器であり、因果一如の行為であってみれば、他人にとやかく言われる筋合いのことではない。だから食べることを労働の報酬と見る見方もおかしい。

作務も食事も、禅では等しく「仏作仏行」なのであり、「コレが駄目ならアレもあかんやろ」というのが老師の真意なのである。
そんなふうに受けとっていただきたいのだが、まあしかし、拗(す)ねて見せたという印象は拭えない可愛いエピソードではある。


禅的生活
玄侑 宗久 (著)
筑摩書房 (2003/12/9)
P155




P36
中国に入った大乗仏教は、そこまでまた多数の意見がとり入れられ、まさに百花済済といいますか、それこそインド以上に花開き、爛熟します。
しかしそれは、いわば学問仏教であって、実際は、真実の釈迦の教えから遠いものとなっていったのです。
 それを見て、これでは仏教の本質に違(たが)うじゃないか。仏教の本質は禅定思想ではあるまいか。自分のことは自分で解決するほかはない。他から聞いて解決できるものではないのだ―ということを説いたのが、いわゆる達磨大師であります。
 達磨大師はインドから中国へ、南周りで来ておりますが、そのことと、禅定思想を中国へ持ち込んだということを合せて考えてみますと、どうも達磨大師は小乗仏教徒の中から出たのでは丹日と思われます。
われわれは、禅は大乗仏教である、と申しておりますが、達磨大師そのものは、私見では、いわゆる実践的な小乗仏教徒の一員として、中国へやってきたのではないかと思われるのです。
 達磨大師は嵩山(すうざん)の少林寺という寺へ行かれて、俗にいう面壁九年、いわゆる壁に向かって九年間ひたすら坐し、何事も語らず、ただ瞑想のみの生活をつづけられたといいます。
 たまたま、二祖慧可(えか)というかたがお弟子となって、はじめて中国人の手に達磨の意志が伝わった。それが、禅の中国における最初の種落としでありました。

P41
昭和二十二、三年ごろ、アメリカのある婦人が、大徳寺の境内の庵に住み込んで禅の研究をしておりました。彼女は禅について本を書いたほど、それは熱心な研究家でしたが、しかし彼女は、クリスマスカードこそちゃんと毎年送ってくれるけれども、お正月の慶びのことばだけは一度もよこしたことがない。
つまり、私が見るに、彼女は確かに禅の研究に没頭してはおりましたが、実際にはキリスト教から少しも離れてはいなかったのです。
 というよりも、離れることができなかったに違いない、と思うのです。私は、宗教というものは、それほどのものだと思っています。
 ですから、禅がたとえ欧米でもいろいろとり上げられましても、それがはたして宗教として定着するかどうかということになりますと、私は大きな疑問をいだかなかざるをえません。
しかし、私はそれで少しもかまわないと思う。キリスト教徒がここへ来て、座禅を組み、たとえ十字を切ったとしても、それはそれでよいと思います。

P45
 私もまた、若いときからそのように(住人注;百丈のように作務ということ、つまり働くということを大切に)暮らしてきましたから、いまでも草むしりなどの作務が大好きです。実際、働いているときほど、何もかも忘れて無念無想になれるときはない。
ある意味では、座禅をしているときよりも心はからっぽです。しかし無念無想だからといって、何もしていないのではない。せっせと草はむしりとっているのです。

けれども、オレはこれだけ草をむしったとか、これだけ庭をきれいにした、とかの観念は少しもない。
ただ生えてくる草を無心でむしりとっているだけです。十分にその仕事を果たしていながら、少しもそれに拘泥(こうでい)していない姿、これが禅の行動というものです。


なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!
立花 大亀 (著)
里文出版 (2011/3/15)






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