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毘沙門天 [見仏]

 毘沙門天信仰がどこで成立したか明らかではない。しかし西域の和闐(コータン)で盛んに信仰されていたことは事実である。
ここは須弥山に擬せられたヒマラヤ山系の北側にあるために、北方の守護神である毘沙門天がこの地の守護神として信仰されるようになったと考えられている。
この信仰は王城の門を守護する神としてもとりあげられるようになったと考えられている。
それは唐天宝元年(七四二)に敵軍に包囲された西域の安西都護府に、毘沙門天が不空三蔵の祈祷によって出現し、敵軍を四散せしめたという伝説によるのである。
毘沙門天出現の直前には幾万とも知れない鼠が現われて、敵の弓の弦を噛み切ったと伝えている。
その伝説から、西域地方ではそれ以後に鼠をもった毘沙門天像が作られているのである。~中略~
 さて平安時代に単独に作られた毘沙門天像を求めてみるならば、さまざまである。その最初のものはといえば、唐からもち帰ったとみられる東寺食堂安置の兜跋毘沙門天像(→一一一ページ)である。
この尊像の武装は異様である。それは中国的なものではなく、西域風であり、和闐にはこれに似た服装の壊れた像がはっけんされているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P117



DSC_5373 (Small).JPG滝ノ観音寺


タグ:望月 信成
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