公平分配の習慣 [教育]
ある日、子供(住人注;アンデスの山奥で今でもインカの伝統を守り続けているケロ村)たちと遊んでいて、たまたま私のザックの底からアメ玉が一つだけ見つかった。子供たちの大好物だ。一つしかないので迷った。
小さい女の子が一人になったとき、こっそりとアメ玉をあげた。欠けた歯をニュッとむき出して、うれしさこの上ないといった顔をした。
日本の子供にアメ玉を一つあげても、逆にバカにされるだけかもしれない。しかし、彼女にとっては一年に一度、手にすることができるかどうかわからない最高の宝物なのだ。
私は一人こっそりとなめてしまうだろうと思っていた。ところが、女の子はすぐに大声で叫びながら姉、兄のところに飛んで行った。その小さなアメ玉をお兄ちゃんが割って、四人で分けた。四人とも満面の笑みを浮かべて、小さくなってしまったアメをなめていた。
関野 吉晴 (著)
グレートジャーニー―地球を這う〈1〉南米~アラスカ篇
筑摩書房 (2003/03)
P52
ところで、私は、ポケットの中にチューインガムを持っているはずだった。平素そういうものに嗜好はないのだが、モンゴルの乾いた空気でのどが痛むかもしれないと思ってポケットに入れてきた。ところが、一包みしか残っていなかった。
それを授業料として進呈するとかれはすぐその包みを剥がした。そのあと、自分のまわりにいた子供たちの人数をかぞえて、公平に分配した。
この幼児たちのごく自然な公平分配の習慣は、社会主義的人民の子だからというものでなく、太古以来、天幕の中で行われつづけてきたものであるように思える。
清朝末期のモンゴル人は、当時の庫倫(クーロン)(ウランバートル)の経済をにぎる華僑高利貸のために、一部の僧や諸侯をのぞいて、乞食以下の暮らしに堕ちていた。そのときでさえ、モンゴル人による泥棒はまれだったといわれる。
街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P162
コメント 0