インタープリテーションの誕生の地―ヨセミテ [社会]
だれもそうであるように、かつて、ヨセミテ渓谷をはじめて見たジョン・ミューアは、その壮大優美、荘厳美麗な景観に言葉を失い、ただ見とれるばかりだったという。~中略~
自然保護の父、国立公園の父と呼ばれ、今も世界中の自然保護関係者から敬われているミューアの、自然への戦いの第一歩だった。そうした背景があって、ヨセミテは世界の自然保護運動にとっての聖地とまでいわれるようになった。
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ
加藤 則芳
(著)
平凡社 (2001/01)
P14
P20
「人は、見てはじめてその自然のよさを理解する。見て、知って、理解して、はじめてその自然を守ろうという意識が生まれる」
これがミューアの国立公園理念であり、アメリカの国立公園の基本姿勢である。だから、国立公園は自然を守るだけではなく、人に見てもらうための施設として、広くビジターを受け入れる。
このようにインタープリテーションの誕生の地がヨセミテであり、したがって、ヨセミテ国立公園こそが自然保護のメッカとして、世界中の人に親しまれているのである。
P46
ジョン・ミューアは、ジャイアント・セコイアの森を放浪し、人類の、あるいは地球の財産であるべき神聖な巨木が次々と失われていく状況を目の当たりにした。そして、同じ危機感を抱く仲間たちとともに、保護運動に邁進することになる。
一八九〇年。ミューアたちの功績によってセコイア国立公園、ヨセミテ国立公園、グラント国立公園(のちに拡大されてキングス・キャニオン国立公園)が次々に設立された。
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