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見仏 [見仏]


 本堂の奥がそのまま宝物館になっているというベストな構造の文殊院では、内陣の奥に大きな扉が見え、その向こうにあの夢にまで見た獅子乗りの文殊が出る。

見仏記ガイドブック
みうらじゅん(著), いとうせいこう(著)
角川書店(角川グループパブリッシング) (2012/10/19)
P28


DSC_5765 (Small).JPG

安倍文殊院

P30
見ほれていると、みうらさんが言った。
「シーンとしているのが不思議なんだよ。すごく躍動感あるじゃん、この像全体に。
だからほんとは木魚とか鳴ってるときにこそ見るんだなってわかるんだよね。今はオフだよ」
「ああ、そうか。そうだよね。お経の中でこそ生きるのかもね」
 もし我々が美術的な視点でだけ仏像を見ているならば、木魚の中で復活する生命を想像することはない。また、逆に宗教的な視点だけで見るならばどんなときでも文殊は生きている。
ならば”木魚の音の中でこそ生きる”と感じる我々はどの視点から仏像を見ているのだろう。
 おそらく我々は美術と宗教のどちらにも身を置かず、ただ双方を限りなく尊敬し、称えているのだろう。
二つが接点を持ち得る地点を一瞬ごとにサーチしながら仏像を見、その生命の奇蹟的なよみがえりに感動する。
「獅子、もうすぐ飛び出るね。柵を越えるよ」



(二二)このようであるから知るべきである。尊者は釈迦牟尼仏の面授の弟子として、すでに四果(注;阿羅漢になるまでの修行の四階停。)を証して後に続く仏の出現を待っているのであって、どうして釈迦牟尼仏に会わなかったことがあろうか。
釈迦牟尼仏にただ会っただけでは見仏ではない、見仏とは、釈迦牟尼仏をまさしく釈迦牟尼仏として見るのである、釈迦牟尼仏の覚りと境地を等しくすることを「見仏」と云うのである。

現代文訳 正法眼蔵 3
道元 (著), 石井 恭二 (翻訳)
河出書房新社 (2004/9/4)
P319




DSC_6334 (Small).JPG普光寺磨崖仏






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