「スンニ派」と「シーア派」 [国際社会]
池上 ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、予言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。
ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、予言者の代理人です。
このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があった方の後継者が続きました。
四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。
アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
一方、血統にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。
全世界のイスラム教信者の八五パーセントをスンニ派が占め、シーア派は一五パーセント。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。
新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P117
P135
佐藤 スンニ派大国サウジアラビアを理解するためにも、われわれはまずスンニ派の大枠を知っておかないといけません。
スンニ派は四つの法学派から成り立っています。まずハナフィー法学派。これはトルコの多いです。次にシャーフィイー法学派。これはインドネシアと、ロシアの北コーカサスにいる。それからマーリキ法学派で、エジプト、チュニジア、リビアにかけての地域にいる。しかしこの三つは忘れてもいいのです。
各社会の慣習や祖先崇拝と適宜折り合いをつけているからです。過激にはなりにくい。
過激な運動が出て来るのは、四番目のハンバリー法学派です。これは原理主義そのもの。
コーランとハディース(ムハンマドの伝承集)しか法源として認めない。だからお墓に一切価値をおかないし、聖人を認めない。アメリカが「オサマ・ビン・ラディンの墓ができるとそこが聖地になる危険性がある」と言ったことがありますが、彼らは教義からして、あり得ません。墓に何の価値も認めないからです。
このハンバリー派の中のかなり急進的なグループがワッハーブ派です。ただしこれは他称で、自分たちでワッハーブ派とはいいません。サウド王家のサウジアラビアの国教が、これなのです。そしてちょっと乱暴に整理すると、ワッハーブ派の中の最大の過激派で武将集団であるのがアルカイダや「イスラム国」です。
~中略~
問題なのは、今、世界的にハンバリー法学派が増える傾向にあることです。
P147
池上 コーランの中にも、最後の最後には自分の身を守りイスラムを守るためなら嘘をついてもいい、というニュアンスの文言が出てきます。
佐藤 とにかくこの世は暗黒だ、だから嘘をついてもいいという話。嘘もついてもいいというのがルールに入ると、外交も政治もものすごく複雑になる。約束をしたら守る、「合意は拘束する」というのがローマ法の原則として決まっているでしょう。それが西側社会の原理になっている。しかし、「約束はしたけれども、約束を守るとは約束していない」というのが含まれると、メタ理論が入ってきて、ものすごい複雑系になります。
だからシーア派とつきあうと大変です。常に戦時、非常時だという認識でいるのがシーア派です。シーア派が主流で権力を握っているのは、国家としては、イランとアゼルバイジャンだけです。
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