阿蘇信仰 [雑学]
「隋書倭国伝」をひらけば、六世紀すでに阿蘇信仰が遠く大陸まで知られていたのがわかっている。そこには次のような描写が見られる。(熊野文化企画編「今昔・熊野の百景」はる書房、二〇〇一年。)
阿蘇山あり。その石、故なくして火起こり天に接する者、俗以て異となし、因って祷祭(とうさい)を行う。
如意宝珠あり。その色青く、大いさけい卵の如く、夜は即ち光あり。いう魚の眼精なりと。
(阿蘇山がある。その石は、故なくして火が起こり天に接するもので、習慣として異となし、よって祷祭を行う。如意宝珠がある。その色は青く、大きさはにわとりの卵のようで、夜は光をはなつ。魚の眼精<めのたま・めだま〉だという)
すなわち、阿蘇では早くから火山信仰が行われていて、のちにそれを中心に山岳信仰の場として阿蘇のカルデラの外縁には古坊中(ふるぼうちゅう)が栄えるようになったのだった。坊中とは僧侶や山岳修行者らが居住する場所で、三十七坊中五十一庵が立ち並ぶ一大霊場として想像を絶する盛況ぶりをみせたのである。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P23
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/04/17
- メディア: 新書
つまり、当時の阿蘇山はかなり特別な場所だったということである。飛鳥を訪れたはずの隋の使いがなぜ阿蘇について書き記したかというと、そこが当時の大和朝廷にとっても重大な意味をもっていたにちがいない。そう、阿蘇山は、かなり古くから信仰の対象であったことにまちがいなく、そこにはすでに多くの山岳修行者らが集まってきていたのである。
阿蘇神社の祭神、健磐龍命(たけいわたつのみこと)はもともと火山神であったが、その後さまざまな恩寵をもたらす神として祀られることになる。
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く
植島 啓司 (著), 鈴木 理策=編 (著)
集英社 (2009/4/17)
P203
世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く (集英社新書 ビジュアル版 13V)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/04/17
- メディア: 新書
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