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十津川 [雑学]

 十津川という地名の意味はおそらく、
「遠(とほ)つ川」
 であろう。十尾津川などとも書かれた。地名から意味を詮索するのはおよそむだなことだが、ともかくも大和盆地という「国中(くになか)」からみてはるか雲煙のかなたということでそうよばれた、というふうにこの地名の語感を感じておきたい。

街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)

P39


街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/10/07
  • メディア: 文庫

 


DSC_6372 (Small).JPG十津川


P10
 十津川郷とは、いまの奈良県吉野郡の奥にひろがっている広大な山岳地帯で、十津川という渓流が岩を噛むようにして紀州熊野にむかって流れ、平坦地はほとんどなく、秘境という人文・自然地理の概念にこれほどあてはまる地域は日本でもまずないといっていい。
~中略~ 「村」としての面積でも日本一だが、人口密度においても一キロ平方あたり十数人で、古来、その過疎ぶりまでが日本一だとして村人たちは自慢する。
~中略~
過疎を淋しがらず、むしろひらき直って自慢するところが十津川人のおもしろさの一つであるかと私は思ったりする。
 幕末、京都にあって反幕勢力をなしていたのはある時期まで長州藩士と九州諸藩や土佐の脱藩浪士たちであり、文久三年(一八六三)、長州の没落後は薩摩藩が主力をなしたが、その間、これらに伍して、「十津川郷士」という集団が、小勢力ながらも存在しつづけた。
市中に藩邸じみた屋敷をもち、どうせ借家であったろうが十津川屋敷などと称されて、十津川から出てきた連中が合宿し、御所の門の衛士(えじ)をつとめていた。むろん全員が苗字を名乗り、帯刀し、士装していた。なんとも妙な一体で、十津川村民というのは、本来、百姓身分なのである。
 大和十津川御赦免所(ごしゃめんどころ)
  年貢要らずの作り取り
 という俚謡(りよう)が、江戸期からある。
 御赦免というのは年貢をおさめなくていいという意味である。十津川郷民の気質のあかるさはこれさえ特権であるかのように俚謡や文書などで自慢しているが、要するに米が穫れないために幕府がやむなく免祖地にしていたわけで、「年貢要らずの作り取り」などと誇っても、作り取りして自分のものにできるような水田も無いにひとしく、本来、山仕事で暮らしている山民なのである。
~中略~
 十津川の免祖地である歴史はふるい。
  土地の伝説では、天武天皇(?~六八六)が大海人皇子(おおあまのおうじ)とよばれたころ、天智天皇系の近江朝と皇位継承をめぐって対立し、吉野に隠棲した。のち吉野方の兵などを動かしてついに近江朝をたおす(壬申ノ乱・六七二年)のだが、このとき十津川の兵も天武方に味方し、その功で免租されたという。
この伝説の真偽はともかく、免租せざるをえない土地だったにちがいない。
 免租どころか、上代から戦国期まで、交通の隔絶した大山塊であるために、中央権力の及ばない一種の政治的空白であることはたしかだった。

P14
 十津川兵の弓の精兵(せいびょう)ぶりを表現するのに、普通で射て(さし矢)三町、ひきしぼって屋じりを天に向け、遠くへ射放って(遠矢)八町という能力で、弓矢だけが飛び道具の時代としてはよほどたのもしい戦力だった。おそらく十津川の山々や谷々で狩りをするのが仕事であったために、こういう能力も育ったのにちがいない。
十津川における山民の仕事は、明治期までは、なかば狩猟であった。
 十津川の兵は、南北朝ノ乱にも、竹原八郎という者を首領として南朝方に加担するが、はるかにくだって、大阪冬ノ陣にも出てくる。十津川兵は、保元ノ乱でも南北朝ノ乱でも、悲劇的な敗北をとげる側に味方するが、このときはどういうなりゆきか、家康方についた。

P59
「十津川郷士」
 などと、ほとんど慣用化されたことばとして唱えられるが、江戸期の十津川郷のひちびとは、徳川の法制上あくまでも百姓身分で、郷士などではない。しかし農民であるかといえば、疑問がのこる。
 農民について徳川の法制上の定義をことさらいえば耕作をしてその穫れ高から租税をとられる者をいうが、十津川郷の場合、租税としてとられるほどの米が穫れないということが最大の理由として免租地になっている。人口9千余という大きな規模の単位で、その単位ぐるみ免租地というのが、徳川時代に他にあったかどうか。

P109
 上代以来、この一郷がうるおったのは、昭和三十年代にほぼ完成した林道と縦貫道路が、木材の高値という状況に対してたまたまプラスに作動したほんの一時期だけだったということになる。
この道路はたしかに十津川郷民の念願どおり下界の経済とを結んだが、気がついたときには日本の下界どころか、国際経済の渦の中に村ぐるみ吸い込まれてしまっていたわけで、このことについては、かつて壬申ノ乱や保元ノ乱、あるいは幕末といった歴史の節目ごとに兵を繰り出して行った村史から何の教訓もひきだせないところに凄味がある。


街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

街道をゆく 12 十津川街道 (朝日文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2008/10/07
  • メディア: 文庫

 


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