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この人民ありてこのメディアあるなり [日本(人)]

 当節は人が顔を合せると「この頃のテレビはつまらないねえ」といい合うのが挨拶代わりになっているが、それはどうやら制作にたずさわる人たち(構成作家? プロデューサー? ディレクター?)の「視聴者は他愛のないことを喜ぶ」という思い込みのためだろうと私は考える。
 例えば「中国の脅威への心構え」とか「マスメディアへの注文」とか「アメリカ大統領選への感想」少し砕けて「トランプというおっさんをどう思うか」でもいい。
ヘソピアスやバスタオルの洗濯回数より中身が濃いと思うのだが、この国の大衆はそういうことに関心がない愚民である、と思いこんでいるかのようだ。失礼じゃないか。
 それにつき合わされる出演者こそたまったものではなかろう。テレビ局のスタジオに入るとその時から出演者はテレビスタッフのいいなりになる。~中略~
 数日後、週刊誌でこういう記事を見た。
「橋本徹は賞味期限切れ?
 ゴールデン特番が視聴率9%」
 そしてテレビ記者はこんなことをいっている。
 「改めて橋本さんが東京では数字を持っていないことが証明された・・・・・・云々」と。
 何をいってる。番組の失敗は構成者が視聴者をナメていたせいではないか。なにが賞味期限切れだ。そんなことを考えるよりも、自分たちのいい加減な構成力を反省した方がいい。
 それにしてもテレビはなぜそんなにエライのだろう?
 テレビは人間を操り人形にしてしまう。人の抵抗力を失わせる。
 その力はどこから来るのだろう?
 番組終了後、橋本さんが、
「これで視聴者が興味を持つのかなあ?」と首を傾けた、 
と週刊誌が報じているのを見て、私は思った。
「これで視聴者が」の「これで」は本当なら「こんなもので」といいたいところだ。
「こんなもの」の「こんな」には、「愚劣な」という言葉が透けている。私ならハッキリそういっているところだ。


九十歳。何がめでたい
佐藤 愛子 (著)
小学館 (2016/8/1)
P199




九十歳。何がめでたい

九十歳。何がめでたい

  • 作者: 佐藤愛子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2016/08/01
  • メディア: 単行本







 


DSC_2662 (Small).JPG荒神谷遺跡

 マスメディアは人口の多い層をターゲットにする。労働人口で見ると、日本はいまだに製造業者がいちばん人口の多いマーケットになる。だから、その市場にとって耳に心地よいストーリーをメディアは流したい。そうすることで視聴率が稼げると考えるからだ。


僕は君たちに武器を配りたい
瀧本 哲史 (著)
講談社 (2011/9/22)
P131




僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい

  • 作者: 瀧本 哲史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/09/22
  • メディア: 単行本



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