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納得の人生 [人生]

 現実の世の中には、認めてもらえる人と、そうでない人とか、どうしても出てきます。
大気や日の光とは違って、社会的に価値あるものは数に限りがありますから、成果が異なるのは、避けられない定めです。
 もし自分が何かを目指して頑張って、それでも成功できなかったときは、どう考えればよいのでしょうか。
 認められること―勝つこと、成功すること―に執着すれば、承認欲の不満ゆえの怒りが、ずっと続くことになります。嫉妬も、敗北感も、コンプレックスも、ルサンチマンも、こうした執着が生み出す苦しみです。
 執着してやる気が生まれるなら、やってみればよいのです。しかし、もし苦しみが生まれるようであれば、「考え方を間違えている」ということです。新しく思考を組み立て直しましょう。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬 (著)
KADOKAWA/中経出版 (2015/7/31)
P197

DSC_2798 (Small).JPG島根県立美術館

P212
 ふつう人間なら、「まだ手に入れていない何か」を追いかけている途中で、人生を終えます。
物質的な快適さや、肉体の快楽や、勝利欲やプライドの満足といった小さな夢を追いかけて、寿命を迎えます。 人によっては、「手に入れそこなった」何かに執着して、未練や後悔、ルサンチマン(怨み)を抱えて生きることもありますが、いずれにせよ”求める心”に殉じる人生を送ります。
 しかしゴーダマの場合は、「いくら手に入れても、最後は必ず失われるのではないか」と考えてしまうのです。これはよくいえば「するどい洞察」ですし、悪くいえば「あまりに極端」です。
~中略~
 ただ、ゴータマの場合は、そこからの発想が、ちょっと違っていました。「悲観するしかない現実」の中で、「新しい生き方」を探し始めるのです。
 人は何かを求めて生きている。だが、求めることは、二種類あるのではないか。
つまり、間違ったものを求めることと、正しいものを求めることだ。  間違ったものを求めるというのは、老いと病と死という”喪失”を逃れられない人間でありながら、いつまでも老いず、病まず、死なないことを求めることではないか。
 正しいものを求めるというのは、この間違いに気づいて、”喪失”を乗り越えた、人間的な苦悩から離れた生き方を求めることではないか。
 今の私は―間違ったものを求めて生きているにすぎない。
            ―ゴータマ若き日の苦悩 アングッタラ・ニカーヤ

P214
 ゴータマの天才は、その先にありました。自身の生き方を疑うだけでなく、「この苦しみから離れる生き方」を探そうと考えるのです。
 この「苦しみから離れる」というのは、別に「人生を降りる」とか「あきらめる」とか「社会を否定する」といった、マイナスでネガティブな方向ではありません。
「人間はみな、望むようには生きられない現実に苦しんでいる。ならば、その現実に苦しまない心の持ちようを目指そう」というのです。

P216
「納得」というのは、主観的なものです。私たちが、自分に「よし」と思えれば、それであがりです。それは「思い一つ」で達成できる以上、何歳になっても、どんな状況にあっても、得ることは可能です。
「納得」を人生の方向性にすえるなら、あとは時間をかけて、近づいてはいけばよくなります。日々の仕事や家事も、「自身が納得できること」を基準にすれば、外の世界に振り回されることは減ってゆくでしょう。


「DFは集中できずに、ピッチで寝るのなら、ホテルに帰って寝ていてくれ!それくらい集中して目を覚ましてやっていかないと今日の試合は難しい。
我々は磐田まで遠足に来たわけではない。もし負けるようなことがあっても、自分たちのできることをすることで我々のプレーを見せよう。やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ。

オシムの言葉 増補改訂版
木村 元彦 (著)
文藝春秋; 増補改訂版 (2014/1/4)
P208


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