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心を通わす [医療]

「先生は認知症の老人とどう心を通わせているのですか」と、研修医に質問されたことがあります。わたしはある精神病院へ短期実習生としてくる彼らに、痴呆状態にある人とのコミュニケーションのとり方を手ほどきしています。
彼らの出来は不揃いですが、「心を通わす」という表現をした研修医は筋がいいと思いました。話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である、と私は思っているからです。
 では、その老人とどういうコミュニケーションを図るのが「心を通わす」ことになるのでしょうか。認知症は記憶を中心とした認知能力の低下にはじまり、コトバを理解し、自分の考えをコトバで表現する能力が次第に衰えていき、最後は、コトバ自体が失われてしまうのが自然な経過です。その中ではコトバによる彼らのコミュニケーション、理解、表現という働きも、常識的にみると変容していくように見えます。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P56


DSC_2771 (Small).JPG松江

P59
 グループホームの居間で、幾人かの女性が和気あいあいと談笑しています。アルツハイマー型の認知症と診断された方々で、どうも会話の内容がバラバラです。
「主人なんてやっかいなまんです。でもいないと困るし・・・・・」
「そうそう、うちの息子が公認会計士になりましたんで忙しくてね」
「あら、いいじゃないとっても、浴衣を着ればステキに見えるよ」
「○○さん辛かったろうに。いつも△△さんって言ってましたよ」
  話は快調に進んでいるようでも論理のつながりはなく、相手の話を理解するより、子どもたちがゲームをしながら勝手におしゃべりをしているみたいです。
 認知症のケアにあたる人の間でよく知られた「偽会話」、つまり[会話」であっても情報共有という働きが失われたコミュニケーション形態ですが、「共に楽しむ」という情動レベルでは、コミュニケーションはりっぱに成立しています。
偽会話の成立は、彼女たちが喋られた内容を論理として理解できないし、また直ぐに忘れてしまうことを考慮すれば了解できます。
 しかし、楽しい情動を共有するという経験を重ねると、理屈を超えた親しい関係が成立します。
~中略~
 こういう事例は全国の施設で観察されており、コミュニケーション成立の働きが、心の深奥の情動領域において営まれること物語っています。

P68
 痴呆状態にある人と「心を通わす」とは、記憶、見当識など認知能力の低下によって彼らに生ずる「不安を中核とした情動」を推察し、それをなだめ、心おだやかな、できれば楽しい気分を共有することです。
そのためには細かい行動学的観察に基づく個別化された接近方法が必要ですが、しかしまず、自分は彼らと連続した存在であり、彼らは、実は「私」であるということを確信しなくてはなりません。


タグ:大井 玄
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