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つながりの喪失 [日本(人)]

 言うまでもなく、私は周りの世界につながっているためには、見たもの、聞いたこと、喋ったことを記憶しており、ここが何処で、いまは何時なのかなど見当がついていなければなりません。
このつながりの喪失が、認知症の人に「不安」という根源的情動を抱かせることになります。怒りや妄想などは、存在を脅かすその不安が形を変えたもののように見えます。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P7

DSC_2829 (Small).JPG立久恵峡温泉

P8
しかし今の日本では、記憶力は良くとも世界とつながることに失敗している若者が「ひきこもり」として増えているように見えます。
わたしは、その原因は日本人が代々受け継いできた「つながりの生存戦略」を放棄したことに関係していると思います。なぜなら、現在子どもたちは競争の場に置かれ、自立した人間になれと言われますが、そこには、一見するよりもはるかに深刻な心理的ダイナミズムが働いているからです。
それは、私(自己)が他者とつながって存在するのか、それともアトムのようにバラバラな存在としてあるのか、という深層心理での認識の修正を迫られることなのです。自分では意識できないその混乱の中で、子どもは行き場を見失い、世界とのつながりをも失うように見えます。

P126
 記憶力低下による新しい情報というつながりの不在、月日や場所の見当を失うことからくる、時間と所在とのつながりの喪失は、「私」の存在感覚を支えている「基本的つながり感」が失われることを意味します。
多彩な周辺症状―夜間せん妄、妄想、幻覚、徘徊、攻撃的性格変化など―を現しているお年寄りと接して、例外なく認められるのは、この不安という情動でした。

P126
五分おきに同じことをたずねる老女に、最初は答えていた息子がついに堪忍袋の緒を切って、「お母さん、さっきから何回同じことを聞くの!忙しいんだから、いい加減にしてよ!」。
 五分前のことを記憶していないから質問するわけですが、それ自体が、彼女の内的世界を不安という情動が支配しているのを示しています。
しかし息子の怒りに遭い、不安はさらにつのり、混沌へと発達する。なぜ息子が怒るのか、理由が判らないこともあるでしょう。
こういうやりとりが度重なると、不安な情動だけは残りますから、外部の情報を求め、環境とつながりをつくる努力そのものを断念してしまうのです。
 しかし、不安という苦痛な状態に長く耐えつづけるのは困難です。外界とのつながりを断念した人が、過去の記憶の世界につながりを求めようとするのは、自然な心理作用であると思います。
「痴呆病棟」のナースが見出したように、老人たちが過去の楽しい時期を思い出していたりするのは説明がつきます。
 老人が不安そうにしているのを観察する機会は、「夕暮れ症候群」が現れるときです。
夕刻、老母は落ち着きをなくし、家に帰ると言いだす。半世紀も住んでいる自分の家からどこの家に行こうとしているのか介護者はいぶかりますが、どうも「家」とは彼女が生まれ育った田舎の家らしい。
「今日はもう暗くて寒いから、明日の朝一緒に行きましょう」などというと落ち着きます。しかし彼女が落ち着く理由は、介護者のことばによって、もう一つのつながりを得たためと思われます。
 そればかりではありません。石井殻氏や阿保順子氏が観察した仮想現実世界の現象にも、類似した心的プロセスがあることを思わせます。
「私」は、現在の情報にせよ、過去の記憶にせよ、なにかに「つながっている」必要があるようです。

P199
「つながりの自己」はアジア、アフリカ、南米などの大部分で見出されますが、日本人には、伝統的に強い「つながりの自己」的感覚があるのです。
 日本という風土・文化で「つながりの自己」的心性がどう形成されてきたか。結論からいいますと、その形成要因として稲作を行う共同体意識の保持と、完全な閉鎖系で巧みに循環型文明を展開させてきたことがあります。そして「ひきこもり」は、こうした日本的心性の典型でもあるようです。
 優しい、真面目、おとなしい、几帳面、正直、内気、神経質など「ひきこもり」の性格的特徴は、国際社会で日本人から普通に受ける印象とも一致します。
カウンセラーたちが見るように、彼らは日本人の代表的性格特性を持つにもかかわらず、繊細過ぎて、今の社会につながるのが難しいのです。
彼らに共通する性格は、「つながりの自己」に性格的特徴でもあり、伝統的日本社会では肯定的に受け入れられてきたものいです。
~中略~
 高塚雄介氏は、「ひきこもり」を自律に失敗した場合の自己防衛的反応として捉え、わたしも基本的に賛成しますが、「ひきこもり」のは、他者とつながろつという深層意識レベルでのダイナミズム(あるいは希求)が、特に強く働いているようであり、それが妨げられると本人は周囲が驚くほどの怒りや苛立ち、悲しみなどの情動を経験します。


 無縁社会という言葉がマスコミをにぎわしているが、人間関係は草木と同じ。種をまかなければ芽生えないし、芽生えた後も、水や肥料をやるなど、メンテナンスしなければ成長しない。
それも自分でやらなければいけない。誰かが声をかけてくれるだろうと放っておけば、無縁社会が進むのは当然の結果ではないだろうか。
~中略~
「親戚以上」とまでは言わないが、何かあったときには気軽に助け、助けられる関係になっていたい。

精神科医が教える50歳からの人生を楽しむ老後術
保坂 隆 (著)
大和書房 (2011/6/10)
P105



タグ:大井 玄
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