焼玉エンジン [雑学]
「東由良の舟にエンジンが入ったのはいつごろでしたか」
「わしらの小学校当時でした」
と、樫本さんがいうから、明石の高浜さんの記憶とおなじである。明石の舟も東由良の舟も、昭和初年に焼玉(やきだま)エンジンを取りつけたらしい。
焼玉エンジンというのはたれが発明したのかはしらないが、日本に入ったのは大正末年らしい。
鉄の鋳物の玉がシリンダーの頭にくっついている。その玉を赤く熱して、それへ霧状の油を吹っかけることによって爆発をおこさせる。~中略~
「それまで」
と樫本さんがいった。エンジンが入るまで、という意味である。
「わしらの父親は、浦島太郎みたいなかっこうをしていました。腰ミノ締めて」 樫本さんは腰へ手をやって、まるく円をかいてみせた。
腰ミノというのは南方の島々に住んでいるひとびとも、かつてはそのような格好をしていた。日本の漁師も古代以来そうだったに違いないが、舟に小さな焼玉エンジンが入るとともに操作する者の服装まで変化するというのは、おもしろい。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P139
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