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素戔嗚尊 [雑学]

鳥上山というのは、スサノオノミコトがその山で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して天叢雲剣(あめのむらくものつるぎを獲った所として知られる。「古事記」にいう「肥河上(ひのかわかみ)なる鳥髪の地(ところ)」なのである。
 神話の中で、スサノオに退治られる鳥上山の八岐大蛇というのは、鳥上山にいた古代の砂鉄業者であるという。出雲ではたれもがそのように言うし、もっともな解釈かと思える。
 古代には砂鉄を採集し山中でこれを鉄にする専門家が群れを成して中国山脈を移動していた、というのが、この解釈の前提になっている。想像するに一団は百人以上だったであろう。
製鉄に人手がかかるだけでなく、採掘にも鉄穴(かんな)流しにも、そして山林の伐採や炭焼きにもおおぜいの人でが必要で、しかも仕事柄、かれらはチームを組まなければならない。このチームは当然ながら山間の盆地で稲を作っている農民の利益とは食いちがってしまう。
 山林を乱伐すれば雨期にはたちまち洪水がおこって田畑を流すし、水流に土砂がまじって、その水を引いている稲田が埋まってしまうこともある。
 しかし農民は結束力が弱いために、山中にいる砂鉄採りにとても抵抗ができない。
ここで、スサノオのような流浪の英雄の登場が必要になってくる。スサノオは高天原を追放されて出雲を放浪するうちにこの山村の村にきて農民のなげきを知り、鳥上山の山中のおろちに酒を飲ませ、酔ったところを見はからい、剣をふるって退治してしまう。
そのあと、土地の耕作者である脚摩乳(あしなづち)の娘である奇稲田姫(くしなだひめ)をめとるのである。
 前期の解釈でいう砂鉄とりの集団は、当然、出雲の沖のかなたにある朝鮮半島からやってきたひとびとであろう。近世でも砂鉄にたずさわる連中は山中で男ばかりの暮らしをしているために気が荒く、ふもとの農村とのあいだにたえずトラブルがあった。そういう暮らしの中にいた出雲のひとびとにとってこの神話の解釈は、解釈というよりも暮らしの反映であるともいえる。

街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P236

 

 

DSC_2809 (Small).JPG須佐神社

P237
 古代史家水野祐氏は、江戸期の籐貞幹が「素戔嗚尊(すさのおのみこと)は辰韓の主なり」といった直観力を讃え、その著「出雲風土記論攷」(早稲田大学古代史研究会刊)において、スサノオとは、
  巫覡(ふげき)的英雄神で、新羅系の客神として、朝鮮半島方面より出雲に渡来した外来神であった。
とされている。
 さらにスサノオが新羅から出雲に渡って「直ちに斐伊川(ひいがわ)(古名・簸川)の上流をめざして直行したと伝えるのは、この神を奉斎した新羅系の一団は、所謂、「韓鍛冶(からかぬち)」の一団で、やはり砂鉄を求めて移動したものではなかったかと思う」と述べられている。
 水野祐氏によれば、スサノオによってたすけられたひとびとは、農民ではないという。ふるくからここで砂鉄をとっていた集団で、つまり砂鉄とりが八岐大蛇の被害者だった。加害者―八岐大蛇―は、古くから先住民族として出雲の海岸にすんでいた海部(あま)部族で、かれらは舟に乗って川をさかのぼり、砂鉄の交易を強要したり、あるいは掠奪したりしたために山間のひとびとは悩まされれていた。
なぜ八岐大蛇が海人部族であるのかについては出雲における海人についてのくわしい論考がこの論旨に先行してなされている。


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