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帝国憲法 [雑学]

そして、(住人注;伊藤博文は)ウィーン大学のローレンツ・フォン・シュタイン教授に出会い、雷電に打たれたような衝撃を受ける。
シュタイン曰く、「憲法とは、その国の歴史・文化・伝統そのものである。日本の憲法を制定するならば、日本の歴史を研究しなければならない」と。
 歴史学派と言われるシュタインの教えこそ、伊藤が目指していた憲法の姿だった。  そもそも、Constitutionとは国家体制のことである。この語を最近は「国制」と訳すことが慣例だが、制度の意味合いしかなく不正確である。Constitutionには歴史・文化・伝統の意味が含まれるので、戦前流の訳し方である「国体」が正しい。
すでに存在する国体を明文化した国家統治の根本法が、憲法典(Constitutional code)である。
~中略~
 近代憲法の大原則に、人権尊重や民選議院がある。これらは「文明国の通義」と呼ばれた。「文明国の通義」とは、実質において守られていなければ文明国だと認められないグローバルスタンダードという意味である。
伊藤や井上はグローバルスタンダードを受けいれつつも、決して西洋からの借り物ではなく、自国の伝統より出でたものであるという理論武装を行った。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P154

 

 

DSC_3822 (Small).JPG赤間神宮

P157
伊藤の秘書である金子堅太郎は、帝国憲法と義解の英文を持参して、オックスフォード大学のA・V・ダイシーとウィリアム・R・アンソンをはじめとする欧米の憲法学の泰斗(たいと)を回った。彼らが一様に反応したのは、「これでは権利のバラマキではないか」「ここまで国民に権利を与えて大丈夫なのか」であった。
あまりにも開明的な条文に、誰もが仰天したのである。
 日本国憲法学に汚染された現代の視点では、信じられないだろう。しかし、事実である。ヨーロッパ人にとっては数百年の闘争の末に獲得した人権も、「陛下の赤子」であるすべての日本人にとっては、自明かつ当然の権利である。よって、民選議院のどういなくして制約はできない。また、国家の意思を示す予算は、議会の権限である。これでは政府が民意の変動により危機に陥りかねない。
欧米の憲法学者は、本気で心配した。


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