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Good Death [人生]

 空海は死を予期してから、死の恐怖を超え、やるべきことを優先的にやり、目標に達した。ここから現代人は学ぶ必要がある。
~中略~
 そして最後の2年間、空海は穀類を断った。しかし、その中でも平安京に向かって朝廷への上奏と弟子への指示を繰り返した。承和1年(834年)5月には弟子を集め、自分がまもなくこの世を去ると告げる。これは、なかなかできることではない。
 空海は承和2年(835年)正月から水分も断つようになり、上記の懸案事項はすべて空海の希望通り2月末に解決した。そして3月21日入定した。
 空海とスケールこそ違えど、緩和医療の場で人の死を見ていると、人は死を前にして気になることを解決したり、その方向性だけでも明確にしようと努力すると、死を受け入れやすいような印象を持っている。
 空海は「吾れ永く山に帰らん」と言い、あたかも眠るがごとき入定したと思われるが、見事に完璧で理想的な死を成就した。ここで空海の「即身成仏」が完成したのである。
 空海は生命の長さではなく、生命の質(QOL,Quality of Life)を重視したのだろう。現代の終末期医療の在り方への示唆に富む。  

空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
P182

DSC_3486 (Small).JPG海峡花火大会

P198
今後どのくらいの余命期間が残っているのかを伝えるのは、究極の「バッドニュースを伝える」ことである。医師の多くは、その余命期間が短かければ短いほど、患者本人に伝えることは抵抗感を感ずる。当然であろう。「あと長くて6ヶ月」とか「治療をしなければあと3ヵ月」ということを患者本人に伝えるのは確かにつらいが、伝えられる患者のほうが、はるかにつらいだろう。
もしも、患者本人に伝えずに、家族だけ伝えたとしたら、患者本人には秘密にしながら、嘘をつきながら最後まで看取ることになり、家族は一生の間、後悔したり、罪悪感を抱き続けることになるだろう。
 あまり症状がなかったり、あるいは症状があっても否認し続けた場合、「治療をしなければあと3ヵ月」と伝えられる状況は、誰にでも起こりうる。そんな時「伝えてほしくない権利」も患者には保証される。しかし、伝えて欲しいのに伝えられない場合には、患者にとって短い余命期間を医師や周囲が奪ってしまうことになる。その余命期間は短ければ短いほど、患者や家族にとっては大切な時間であり、人生が「濃縮された」時間ということになり、やはり誰もそれを奪う権利はないのである。
 患者の死生観にもよるが、「もう一度会いたい人に会っておきたい」とか、「お世話になった方にお礼を言いたい」とか、「家族に感謝したい」と思っている患者は多い。その意味では、自分にとって「良い死に方(Good Death)」とは何かを、できれば周囲に話しておいたほうがよいことになる。

P202
 末期がんの患者にほぼ正確な余命期間も伝えずに、だんだん衰弱していき、麻薬性鎮痛剤を使い始めると眠ることが多くなり、家族も「今生の別れ」に際して、言い忘れたことや思い出話や、感謝の気持ちを伝えるきっかけを失ってしまうことが多い。
家族の希望とは言え、本人に余命期間の伝えない時の、取り返しのつかない弊害であると、、私は疽直に思う。
 患者の意識がはっきりしている時、自分自身のことがまだ出来ている時期(これを「自律性が保たれている」という)に、別の患者の場合の弊害を思い出し、家族の方に「やはり話しておいた方がいいのでは?」と呼びかけ、それに頷いてくれた家族のほうが、患者と濃縮した時間を共有することが多い。そんな時、「良い死に方(Good Death)」という言葉が頭をよぎる。
「良い死に方」の絶対条件のひとつに「自分の余命期間を知っていること」があげられることは確かだ。

P243
 だとしたら「尊厳ある死」と「尊厳なき死」のちがいはなんでしょうか。「尊厳ある死」とは、「死んだほうがまし」な「尊厳なき生」の維持を中止させることをいうようです。
 日本尊厳死協会設立のきっかけになったアメリカのカレン裁判は1976年。回復不可能な持続的植物状態に陥ったカレンさんの状態を「尊厳ある生とはいえない」と、延命中止を求めた家族の要求を、最終的に裁判所が認めました。
 日本尊厳死協会が「不治かつ末期」と認める状態には、回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)、苦痛を伴う末期がん、認知症、老衰、人工透析を必要とする腎不全患者、筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経性難病があります。
「尊厳死」とはそれらのひとが「消極的選択」をさすとされますが、いったい誰が「不治かつ末期」を判断するのでしょう。昏睡状態に陥ったお年寄りが息を吹き返した例は枚挙にいとまがありませんし、「死期」を判断するのがむずかしいいことは多くの医療関係者知っています。
それに世の中には「不治だが末期でない」重症の難病患者や重度の障害を持ったひとたちがいます。~中略~
それに「不治とは現在の治療水準の上での「不治」医学の進歩に伴って、死病だったはずの結核もAIDSも、いまでは生きていられる病気に変わりました。がんだってALSだって、近い将来、治療法が開発されないともかぎりません。

P248
 この本(住人注:「逝かない身体―ALS的日常を生きる (シリーズ ケアをひらく)」川口有美子(著))のなかで、川口さんは神経難病の専門医、中島孝医師と尊厳死について語り合っています。
中島医師は、ナチスが「生きるに値しない生命」に「良い死」を与えることを正当化したのが「安楽死」であり、「尊厳死」から「安楽死」へは「滑りやすい坂」がつながっていると言います。~中略~
 災害医療で知られるようになった「トリアージ」という概念がありますが、もとは限られた医療資源をいかに優先的に使うかという冷徹な選別の原理であり、戦争医学から来ています。中島医師は「『(生きる)意味のない人たち』に対する無駄な分配、医療・福祉費をどうやってうまく減らすのか」という課題を、「意味のない医療や福祉をしないように、無駄を省き、効率のよいものに」すると言い換えるのが「尊厳死」だと指摘します。
 中島医師によれば、「末期」とは「後世概念」。後世概念とは、社会的に構成された考え方のこと。つまり何を「末期」とするかは、複数の関係者の相互交渉の過程で決まり、けっして一義的かつ客観的に専門家が定義するようなものではない、ということです。~中略~
 「尊厳死」という概念がこわいのは、いつでも「尊厳なき生」より「死」のほうがまし、という考え方にスリップしていくことです。
 日本尊厳死協会の長尾和弘医師は、「長尾和弘の死の授業」(ブックマン社、2015年)のなかで、死に積極的に介入する安楽死と、延命を差し控える尊厳死とはちがう、と主張します。
安楽死は英語ではeuthanasiaですが、これを認める安楽死法は英語ではDeath With Dignity Act、日本語だと「尊厳死法」と訳されます。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)


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