SSブログ

日本の祝日と労働時間 [社会]

 日本の祝日が増えだしたのは一九六六年からだ。それまで年間九日だった祝日数が一二日に増えた。八九年には一三日、九五には一四日になった。この間日本で週休二日制が普及して「時短」が進み、「何らかの週休二日制」のもとで働いている労働者の比率は、現在では約九〇パーセントになっている。つまり、週休二日制と祝日の増加で、私たちの年間休日数はずいぶん増えたことになる。
 しかし、たしかに休日は増えたかもしれないが、余裕なく毎日長時間働いていると感じている人のほうが多いのではないか。その理由は、平日の労働時間の長さの変化と有給休暇の取得率の低さに原因がありそうだ。
 実際、過去三〇年間の日本の労働時間の変化を詳細に分析した東京大学の黒田祥子准教授の研究によれば、日本では週当たりの労働時間は変化していないが、週休二日制の導入に平日の労働時間が長くなっている。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P170

P171
 有給休暇の取得日数でみても、九〇年代半ばで平均約九・五日であったものが、最近では平均約八・五日に減少している。祝日が増えた分、有給休暇の取得の必要性が減ったのかもしれない。
 筆者がかつて行った研究によれば、日本の有給休暇の取得行動は、労働組合がある企業とない企業では大きく異なる。労働組合のあるところでは、景気が良くなると有給休暇の取得率が低下し、労働組合がないところでは有給休暇の取得率が上がる。
労働組合がある企業では、雇用保障が強い代わりに有給休暇の取得を含んだ労働時間の変動は、仕事の忙しさ応じるという傾向があるのではないだろうか。一方、労働組合がない企業では、景気が悪化した際に解雇の対象にならないように有給休暇の取得を労働者が自粛しているのかもしれない。
 東京大学の水町勇一郎教授は、日本の有給休暇の所得率が低いのは制度的な問題だという。
ヨーロッパでは、使用者が労働者の意見・希望を聞いたうえで具体的な年休日程を決定し、それに従って年休が完全に消化されるというやり方が一般的なのに対し、日本では、年休を取得する時期を原則として労働者が決定できる制度となっている。ヨーロッパの有給休暇はいわば強制的な休暇であって、労働者にとって有給休暇を取る権利はあってもタイミングの指定ができないのである。
だから、有給休暇の消化率は自動的に一〇〇パーセントに近くなるはずだ。逆に日本では、有給休暇のタイミングを決める権利を労働者が保有しているがゆえに、病気などの不足の事態のために年休を残しておく傾向があるのだ。

P173
 日本の特徴は、ヨーロッパのように有給休暇の取得時期の決定権を企業に付与する代わりに、祝日という国レベルの強制的休みを増やすことで、休暇の取得時期の決定権を国が保持し、休日数を増やしてきたと考えられる。
~中略~
 むしろ、国が指定する祝日に休む義務をなくして、有給休暇の消化率を九〇パーセント以上に義務付けたり、地域ごとに連休の時期を変えるという方法をとって、連休の非効率性を減らす方が、私たちの暮らしは豊かになるのではないだろうか。

P176
 一九九〇年代に労働法制主導で労働時間の短縮が進んだが、同時に日本経済はバブル崩壊による不況を経験した。
一橋大学の林文夫教授とノーベル賞を受賞したアリゾナ州立大学のプレスコット教授は、九〇年代の日本の経済停滞の要因は、生産性の上昇率が低下したことに加えて労働時間が短縮されたことであったと主張している2。
 九〇年代半ば以降は、非正規雇用の短時間雇用者の比率が上昇してきた影響もあって日本の平均的な労働時間の短縮は進んだ。しかし、九〇年代末から世社員労働者のなかでも三十代の男性を中心に長時間労働者の比率が高まった。労働時間の二極化現症である。
働きたくても仕事が見つからない失業者や正社員になれないフリーターが増加した一方で、週六〇時間以上も働く長時間労働の正社員が増えてきたのである。長時間労働の正社員がうつ病になったり、過労自殺をしたいすることが社会問題となってきた。
 労働時間規制が強化されたにもかかわらず、長時間労働の弊害が近年になって問題になってきたことは、働き方の変化が大きいと考えられる。労働時間管理が比較的容易なブルーカラー労働者の比率が下がり、時間管理が困難なホワイトカラー労働者の比率が増えてきたことが原因ではないだろうか。
ホワイトカラーの仕事は、労働時間を厳密に管理することは不可能である。会社での仕事時間をきちんと管理したところで、自宅で仕事を続けることもできる。逆に、オフィス街の喫茶店で長時間休憩しているサラリーマンも多い。
 ホワイトカラーの長時間労働は本当に抑制すべき問題なのだろうか。もし長時間労働を抑制すべきだとすれば、そのような手法が望ましいのだろうか。

P185
労働時間を規制すると格差が大きくなるという可能性もある。筆者が勤務する国立大学では、労働時間に関して大きな規制の変更に直面した。二〇〇四年に国立大学が独立行政法人になる際、教職員は公務員から非公務員に変わり、労働基準法の規制のもとで雇用されることになった。その際の変化のなかの一つに労働時間管理が厳しくなったことがある。
公務員時代はサービス残業は当たり前だったが、非公務員になるとサービス残業をさせると労働基準監督署から厳しい注意を受け、時によっては処罰されることになった。
労働者にとっては望ましい変化のはずだ。しかし、筆者は何人かの大学の管理職から、法人化後、職員の間の格差が拡大していること、格差拡大に悩んでメンタルヘルスを悪化させる職員が増えたということを聞いた。
 どうしてそんなことが起こるのだろうか。管理職が一様に指摘するのは、つぎのような点である。
「公務員時代は達成しなければならない仕事が決っていて、仕事をこなすスピードに職員の間で差があった場合、仕事のスピードが遅いものは長時間労働によってサービス残業をして課題を達成していた。しかし、法人化後は超過勤務が厳しく管理されるようになったので、仕事が遅い職員は勤務時間内に課せられた仕事を終了できないため、仕事が早い職員と遅い職員の間で成果に大きな差が出るようになった。
賃金も成績査定の幅が大きくなっているので、成果の差が所得にも跳ね返るようになってきた。労働時間の差で仕事を補えない分、成果の差が職場でもはっきりわかるようになってきて、それがメンタルヘルスを悪化させる原因にもなっている」
 こうした変化に加えて、国立大学が法人化されて仕事の質そのものが変化したことも成果の差をもたらす原因だろう。~中略~
 創意工夫が重要な仕事になればなるほど、労働時間による管理は向かなくなる。技術革新のために、仕事の多くが創意工夫やアイディアに依存するようになり、生産性の個人差、個人のなかでの時間的変動が大きくなってきた。それにもかかわらず、労働時間の管理が厳しいとそうした生産性の差がそのまま成果の差として反映されるようになってしまう。
 もっとも、生産性が低い部分を補うために長時間労働を無制限に放置しておいていいわけではない。長時間労働の最大の弊害は健康を害することである。必要なことは、裁量労働制の範囲をもっと広げることと、健康管理の義務付けを厳しくしていくことである。


タグ:大竹 文雄
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント