肉体化された思想 [哲学]
肉体化された思想というものは今日では益々稀になった。現代人は、思想でなく思想の罐詰(かんづめ)を食って生きているようにみうけられる。国産の配給品もあれば、外国製のもある。急いで罐詰を食いちらしている情景は、戦前も戦後も変わらない。自分で畑を耕し、種子をまき、あらゆる風雨に堪えて、やっと収穫したというような思想に出会うことは稀だ。
たとい貧しく拙劣でも、自ら額に汗してえた思想を私はほしい。
そういう勤労の観念がいまどこにあるだろうか。勤労者の味方をもって自任する政党の思想が、最も罐詰臭いのは不思議なことである。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P113
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