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脳の中に生きる [ものの見方、考え方]

 (住人注;日本の社会の問題の中で)問題は少子化である。私は本書を含めて、私が年来主張していることは、このことと関連がある。
現在の日本の社会状況をいわば凍結して、このままの状態で社会が推移していくと、日本社会はいずれ消滅する計算になる。そんなことは起こらないだろう。だれもそう思うはずである。にもかかわらず、なぜ少子化なのかに対して、さして考慮がはらわれているとも思えない。
ひょっとすると、ほとんどの人が無関心であるのか、神風が吹くのを待っているのであろう。いずれ増えだすに違いない。そう思って日常を過ごしているなら、いわゆるユデガエルの状態である。しかも人口問題はゆっくり進行するので、いつ、なにをしたらいいのか、それがわからない。

遺言。
養老 孟司 (著)
新潮社 (2017/11/16)
P171

DSC_4748 (Small).JPG企救自然歩道

P184
 実生活の中で感覚を復元する。これもむずかしい世の中になった。効率や経済、つまり便宜やお金で計れば、感覚は下位に置かれる。ビルの中では、とにかく床は平坦で同じ硬さである。
田んぼや森の中で働いたら、そんなわけはないだろうとすぐにわかる。
しかし、そんなわけはないだろうといっても、怪訝な顔をされるだけ。日常とは怖いもので、慣れたものなら「それで当然」であり、そうでないものは考えたくないのである。
 根本的にそこから生じた社会の病が、日本では少子化であろう。「はじめに」にかいたように、私は元宇品の海岸でイヌを見ていた。数十人の子どもたちを連れていたのだけれど、子どもたちよりイヌのほうが幸せっそうだったことは間違いない。
ヒトは子どもといえども、むずかしい。イヌは身体が濡れてもいいけれども、子どもはそうはいかない。すでに子どももしっかり現代社会に取り込まれている。子どもなりの予定があり、しなければならないことも多い。子どもだって大人並みに、自殺したり、他人を殺したりするのである。
 現代日本では、イヌ、ネコ合わせて二千万頭という。ペットが多いのも、その反映であろう。

P186
私ほどの年配の女性に相談を受けた。あちこちの医療機関で診てもらった、特別なことはない。でも頭が重いし、元気がないし、しびれ感があるし、耳鳴りがひどい。
それを一時間にわたって訴え続ける。聞いていて、ビックリする。この人は感覚が欠如しているのだろうか。
外の世界が一切話題にならないからである。目も耳も触覚も、じつは外界を把握するために存在している。でもこのひとはそれを完全に無視して、感覚は自分の身体に関することだけに集中している。
いうなれば、「意識の中に住む」という、現代人の典型であろう。


タグ:養老 孟司
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