オトウサン、オカアサン [言葉]
余談ながら、オトウサン、オカアサンということばはこの(住人注;明治7年の小学校の)教科書、教材のなかにまだ出ていない。単に、
「親」
として出てくる。オヤという日本語はむろん古い。
さらにはチチ・ハハという日本語も古い。しかし父母に対する呼びかけの言葉は江戸期以前もその後も階層や地方によってまちまちであった。
母親のことを河内の下層農民はオカンとよび、江戸の市井の人はオッカサンなどという。旗本の家庭ではチチウエ、ハハウエであり、同じ階層でも幼児はトトサマ、カカサマとよんでいたらしい。公家貴族ではオモウサマ、オタタサマであり、鳥取藩の士族家庭では母親のことをオターサンとよんでいた。
また近畿の真宗僧侶の寺族(じぞく)では、京の公家言葉をまねてオモウサン、オタタサンで、私も昭和二十年代、伊勢でげんに耳にした。真宗の寺の六、七歳の男の児がむずがって母親に、
「オタタッ」
などと言っていた。
明治の新政府は文明開化的な全国統一の必要からこのよび方の統一を考え、オトウサン、オカアサンという言葉を創り出したわけで、この言葉は江戸期にはどの階層、地方にもなかった。
街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P81
タグ:司馬 遼太郎
コメント 0