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愛媛県松野町 [雑学]

P176
 戦国期に土佐兵がしばしばこのあたりを侵略した。  伊予の東南端で、土佐との国境いの町ともいうべき松丸あたりでは、いまでも古い人のあいだで、土佐人のことを、
「土佐のヤゴンス」
 といったりすることがあるらしい。
 ヤゴンスというのは山家(やまが)衆のなまったものかどうかはわからないが、語感からいえば「物知ラズ」「田舎者」という感じである。
用例をあつめてみると、ときにヤバンジンめ、といった感情もこもるらしい。愛情や滑稽感をこめることもある。
土佐人は酒量をほこる。伊予人との会合で、
「酒は何貫のみますか」
 などときく。酒で伊予人を圧倒してやろうというのだが、伊予人のほうは肚のなかで(ヤゴンスめ)とつびやく。
 憎悪のほうは戦国期にさかのぼるであろう。戦国期に、侵略してくるのはかならず農業生産のひくい土佐のほうからで、生産力の高い伊予側から押し出すということは、まずなかった。

P180
 戦国期には一条氏のあとの長曾我部氏によって伊予は土佐兵のわらじの下に蹂躙(じゅうりん)されるのだが、平和な江戸期に入ると、藩境い付近ではこの事情が逆になった。伊予は商品経済の先進性を示し、この小さな旧宇和島藩領松丸村が、他藩ながら、広大な西土佐(幡多郡)を市場にしてしまうのである。
その傾向は、中央の大企業が伊予も土佐もなしに大網にかけるようにして併呑してしまうまで、ごく最近までつづいた。

P181
松野という集落が、伊予という先進的な商品経済を背景にして藩境いでの最前線になり、「後進地帯」である西土佐を自在に市場化していたにちがいない。
 一方、土佐では、伊予者は肚が黒いというイメージが、老若男女となく固定化してしまっている。
「伊予衆と争(いさか)えば、なんじゃかんじゃと言うて結局負けてしまう」
 と、いう話も高知あたりではよくきく。

P191
この県境いの上で、藤原さんと矢野さんに別れた。松野町の習慣では、南へ去る知人を県境いまで送るという。私どものその習慣どおりに送られた。
 まるい顔の藤原さんは、右手をすこしあげて、
「お道を。―」
 と、呪文のようにつぶやいた。お道を、とは南伊予のことばで、一路平安を祈る、という意味である。この優しい習慣は、江戸期からこの街道筋で伝えてきているらしい。
~中略~
 県境をすぎると、いうまでもなく、土佐(高知県)である。道幅は林道ほどしかない。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
 


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