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博物館 [見仏]

 僕は近頃、博物館について益々(ますます)疑惑を抱くようになった。便利といえばこれほど便利なものはない。僅(わず)かの時間で尊い遺品の数々に接することが出来る。しかし僕らは博物館の中で、何かしら不幸ではないか。東京の国立博物館でも、奈良博物館でも、法隆寺宝蔵殿でも、ふっと空虚な寂(さび)しさを感ずることがある。病院の廊下を歩いているような淋しさだ。
僕ははじめそれが何に由来するかわからなかった。古仏が本来その在るべき仏殿から離れて、美術品としてガラスのケースに幽閉された時の淋しさはむろんである。
だがケースに陳列してそれほど不自然に見えない筈の工芸品にしても、博物館にあると急に白々しくなる。
この空虚とは何か。寂しさとは何か。僕は近頃になって、それが愛情の分散であることにはっきり思い当った。
つまり博物館とは、愛情の分散を強(し)いるようにつくられた近代の不幸なのではなかろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P49

IMG_0034 (Small).JPG奈良国立博物館


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