So-net無料ブログ作成

骨肉の争いの教訓が「以和為貴」 [日本(人)]

対外的なことは暫(しばら)く措(お)くとしても、国内的にみれば欽明朝より推古朝にいたるおよそ五十年のあいだは、眼を蔽(おお)わしむる凄惨(せいさん)な戦いの日々である。
蘇我(そが)・物部(もののべ)両族の争いにとどまらず、穴穂部皇子(あなほべのおうじ)や宅部皇子(やかべのおうじ)の悲しむべき最後があり、物部氏の滅亡についで、遂(つい)には崇峻(すしゅん)天皇に対する馬子(うまこ)等の大逆すら起っている。しかもこれらの争闘は悉(ことごと)く親しい骨肉のあいだに起こった悲劇であった。
上宮太子が御幼少の頃より眼(ま)のあたりに見られたことは、すべての同族の嫉視(しっし)や陰謀、血で血を洗うがごとき凄愴(せいそう)な戦いだったのである。一日として安らかな日はなかったと云っていい。
 仏法はいまだ漸く現世利益(げんせりやく)か乃至(ないし)は迷信の域を脱しない。さもなくば政略の具であった。諸家の仏堂は徒(いたずら)に血族の屍(しかばね)の上に建立(こんりゅう)されたかにみえる。
書記にしるされた全般をここに詳述はできないが、現今の斑鳩の里がもたらす和(なごや)かな風光からは想像も及ばぬ。諸々のみ仏の大らかに美しいのが不思議なほどである。百済観音の虚空(こくう)に消え行くごとき絶妙の姿も、思惟の像にみらるる微笑も、かの苦悩の日のひそかな憧れであったのだろうか。凄惨な生の呻吟(しんぎん)から、飛鳥びとの心魂をこめて祈った、祈りのあらわれでもあったろうか。

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P11

DSC_7392 (Small) (2).JPG法隆寺

P47
 一切衆生は悉(ことごと)く仏となる筈だが、しかし悉く仏となる時は来ない。人間の迷妄(めいもう)は無限、地獄は永遠である。
しかもその故にこそ請願は絶えず、菩薩の夢は永遠なのではないか。これが太子の追求された大乗の急所であったと僕は信じている。
太子が久世菩薩として仰がるる所以(ゆえん)は、救いや解決を現世に与え給(たも)うたからではない。現世の昏迷(こんめい)に身を投じ、救いも解決もなく、ただ不安に身を横たえられたその捨身(しゃしん)故にこそ菩薩として仰がるるのである。死ぬまで地獄と対決し、忍耐した、その救いのない深い憂苦の姿が、即ち後世の僕らにとっては生々とした救いとなるのではなかろうか。
「以和為貴」という思想が、太子の心に何らの安心をももたらさなかったということが肝心だ。むしろ時代の深傷(ふかで)から出た呻吟(しんぎん)の言葉であった。

DSC_7358 (Small).JPG法隆寺

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント