SSブログ

不空羂索観音 [見仏]

 大仏殿の前をよぎって手向山(たむけやま)八幡宮への坂路を登って行くと、その中腹を左へ入ったところに有名な三月堂がある。この辺は杉の大樹が鬱蒼(うっそう)とそびえていて、同じ東大寺の境内でも底冷えがするほど涼しい。~中略~
周知のごとく、東大寺を襲った幾たびかの災禍を免れて、いまになお天平の(てんぴょう)の姿をとどめる唯一(ゆいいつ)の御堂である。~中略~
そして不空羂索観音はこの御堂の本尊であり、天平隨一の傑作といわるるみ仏である。
 私はこのみ仏を拝するたびに、いつもその合掌の強烈さに驚く。須弥壇(しゅみだん)上に立つ堂々一丈二尺の威軀(いく)は実に荘厳であり、力が充実しており、また仄(ほの)暗い天井のあたりに仰がれる尊貌(そんぼう)は沈痛を極めている。慈悲の暖かさも悟達の静けさもみられない。
口を堅くむすんで何かに耐えている悲壮な表情である。~中略~
飛鳥仏(あすかぶつ)にみられる微笑は全く消え去っている。白鳳(はくほう)の温容もない。むしろ受難の相貌(そうぼう)と云ってもいいものがうかがわれる。私には、このみ仏が身をもって天平の深淵(しんえん)を語っているように思われる。何に耐え、何を念じているのだろうか。
 当今の古美術研究家はこの大事について何事も語ってくれない。美術の様式論をもって仏像を鑑賞するという当世流行の態度が、一切を誤ったと云えないだろうか。
仏像は彫刻ではない。仏像は仏である。仏像を語るとは、仏を語るという至難の業(わざ)である。そこには仏の本願のみならず、これを創(つく)り、祀(まつ)り、いのちを傾けて念じた古人の魂がこもっている筈(はず)だ。それに通ずるためには我々もまた祖先のごとく、伏して祈る以外にないであろう。
この祈りの深まるにつれて、仏像は内奥(ないおう)に宿る固有の運命を、悲願を、我々に告げるのであろう。この唯一の根本が忘れ去られたところに、現代の古美術論が成立っている。 大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P202

P209
 いま不空羂索観音を仰ぎみるに、その受難の相貌も、合掌の強烈さも、すべて詔にみらるるごとき大憂悩と大非心の然らしめたところと申す以外にないであろう。その憂いを、心塊に徹して承けた側近の僧等が、念じつつ創り上げた仏体であろう。この観音に近づく道はこの思いをとおしてより以外になさそうだ。
むろん奈良朝における経文の流布や、仏師の彫塑(ちょうそ)的手腕、芸術的表現力も見逃しえないのであるが、それらを渾然(こんぜん)と融合せしめ導いて行った力は、天平の人生苦悩と、そこからの祈念である。
不空羂索観音の堂々たる威軀の立つ蓮座(れんざ)の下に、天平の地獄がある。これを懸命に踏まえて、そびゆるごとく佇立したところに強烈な信仰の力があらわれている。聖武天皇の信仰の自伝の一節をそこに拝すると申しても過言ではなかろう。

P210
 薬師寺金堂の白鳳の如来と脇侍は、互いに渾然たる調和を示し、美しい調べを奏でていることは前に述べたが、三月堂の三像は、はるかに内面的だと思う。形の上で意識的に調和を求めたような痕跡(こんせき)はみられない。胴体のくねりも遊び足もない。それぞれが古僕(こぼく)に佇立しているだけである。
しかもそこに、互に心の光りまつわりあって、一つの深淵を具現しているのだ。「心の光り」と云ったものを、合掌と云い換えてもいいであろう。渾身の力をこめた本尊の合掌は、日光月光に余韻し、両菩薩は更にその合掌に対して合掌すると云ったような内面の交流がみられないだろうか。

P211
 四天王の美は、戒壇院を頂点とする。この系統のものとしては、他に興福寺の阿修羅(あしゅら)だけを私は美しいと思う。新薬師寺の十二神将に至っては、もはや信仰が病的状態に入ったことのあらわれとしか思えないのである。人心の狂乱と苦悩を深奥(しんおう)に抑え、ひたすらな合掌と半眼に一切を耐えてこそ仏と菩薩の像は成立つ。
不空羂索観音の有難さもそこにあることは既に述べたとおりである。熱烈な夢や憤怒(ふんぬ)や悲哀に耐え、祈る、その昇華の刹那(せつな)にのみ仏は在(いま)すのであろう。
人間感情の露骨な表現を仏体にもとめて、そこに彫刻美を云々(うんぬん)するのは邪道でなかろうか。しかもこの一切を黙ってひきつれて、なおゆるぎなく合掌する不空羂索観音の威容は、天平のあらゆる苦悩と錯乱の地獄から立ちあらわれた姿として、益々(ますます)光芒(こうぼう)を放つのだ。
                                            ―昭和十七年秋―

 


nice!(1)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 2

omachi

歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
by omachi (2018-08-08 16:53) 

not_so_bad_one

omachi さん
コメントありがとうございます。
by not_so_bad_one (2018-08-09 07:45) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント