信仰の敵は信仰そのものの裏にある [宗教]
菩薩とは人心の機微のあわいを遊行してゆくもの、云わば微妙さに身を横(よこた)えているものだ。
信仰にとって最重大事は、微妙な心に精通することである。生硬な信仰は無信仰よりも罪悪的だ。人に懺悔(ざんげ)を強(し)い、告白を聞いて裁断し、触るべからざる悲しみに触れて、一層人の心を傷つけるような信仰者がある。たとえば中宮寺の庭を泥足で歩むようなものだ。人間の心に粗暴な足跡を印することは最大の罪悪だ。
信仰の敵はいつでも信仰そのものの裏にある。外からの迫害は決して恐るべきものではない。
法難とは信仰の拙劣な自己弁解にすぎない。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P115
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