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薬師如来の本願 [宗教]

 飛鳥(あすか)白鳳天平のわが仏教の黎明(れいめい)期には薬師信仰は極めて盛んであった。いな薬師信仰はどんな時代でも病のある限りは不滅であろう。すでに法隆寺の飛鳥の薬師如来像、また薬師寺の白鳳の薬師如来像について述べたが、上古より盛んなこの信仰の本質について考えてみたい。~中略~
 薬師とは詳しくいえば薬師瑠璃(るり)光如来と云い、東方浄瑠璃世界の教主である。このみ仏は自ら十二の大願を起こしたことが薬師如来本願経に語られてある。 ~中略~
これによって明らかなように、我々の謂(い)う病気恢復は十二願の一部にすぎず、他にも諸々の現実的救済を願としているが、畢竟(ひっきょう)本願のめざすところは、第四願(住人注;一切衆生をして大乗に安立せしむるの願。))に要約されていると云ってよかろう。
また病を必ずしも肉体的に限定せず、心の迷いや精神の病をふくめてすべてを根源から安穏ならしめんと望んでいるのである。 ~中略~
 かかる薬師信仰本来の綜合(そうごう)的面目は、法隆寺の薬師如来、薬師寺金堂の本尊、あるいは香薬師を拝して充分偲(しの)ばるるであろう。利益の一面のみを仏体にあらわに表現するのは後世の堕落ではなかろうか。これがさらに転落すれば邪教的迷信ともなろう。
推古(すいこ)天皇ならびに上宮太子、あるいは天武(てんむ)天皇、聖武天皇、光明皇后の信仰を拝しても明らかなように、決して御一身のみの利益と平安をめざされたものでなく、すべては国民の和と救いのために捧(ささ)げられたところであった。わが大乗の教(おしえ)をはじめて具現されたのは天皇にあらせあれた。天皇信仰という独自のものがわが史上には存在していたのである。
 とくに上宮太子が病者貧民の身上を思うて設けた四天王寺四個院のごとき、また光明皇后の悲田施薬院乃至(ないし)施浴の風呂の如(ごと)き、すべて薬師如来の本願を思わする非心の然らしめたところであった。かかる信仰あってはじめて無双の仏体も造顕されたことは既に述べたとおりである。
―昭和十七年冬―

大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P224

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