教育の効果は数値化できない [教育]
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教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。
みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に「投資は成功だった」とみなされる。
要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と。
これはほとんど教育の自殺に近い考え方だと思います。
まず第一に、そうなってしまうと家庭というのは「ファクトリー(工場)」であって、子どもはそので創り出す「製品」だということになる。
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みなさん「実学」ということを軽々に口にされますが、あらためて「実学って何のことですか?」と聞くと、絶句してしまう。「実用性の高い学問のことです」というふうに答える人もいる。
では、と重ねて訊きます。「天文学は実学ですか?解剖学は実学ですか?考古学は実学ですか?数学は実学ですか?」と答えられない。
天文学が有用な学問であることは誰だってわかります。でも、自分の子どもが「天文学者になりたい」と言ったら、たぶん「そんな夢みたいなことを言うんじゃないわよ」って言うんじゃないですか。
みなさんがおっしゃっている「実学」というのは有用性とは関係ないんです。要するにそれは「教育投資が迅速かつ確実に回収できるようが学問領域」のことなんです。~中略~
実学における有用性というのは、つきつめて言えば、「労働市場が高い値を付けること」つまり、教育投資の元金がすぐに回収できること」のことなんです。それを平然と「実学」と称している。
教育のアウトカムは計量不能なんです。教育の効果は数値化できない。だから、教育を「投資と利益の回収」というスキームで論じるのは、はじめからお門違いなんです。
教育のアウトカムは、卒業後に得られた地位や年収でしか測定できないというのは、だいたい、いつ誰が決めたことなんですか?
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
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