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地方創生人材を育てろ [社会]

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 「グローバル人材」とはせいぜい言われ出して一〇年ぐらいでしょう。九〇年代まではそんな言葉は使われなかった。
学生を採用する側の企業は、大学に対して、「学生たちにはぜひ基礎的な教養をつけてほしい」と言っていたのです。きちんとした日本語の読み書きができて、古典を読み、歴史や文学を学び、幅広い教養を身につけた人間を育てていただきたい、と。「専門教育は我々がやりますから、変な色をつけないでいただきたい。大学はリベラル・アーツ教育に専念して下さい」と。そう言っていたんですね。
 ところが、九〇年代に入ると話が変わる。採用する企業の側が「もう教養課程なんか要らない。第二外国語も要らない。一年生から専門過程を教えて、即戦力にして卒業させろ」と言いだしてきた。

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「世界で活躍できる機動性の高い人間として育てるのは教育的にはいいことじゃないか」と思う人もいるかもしれません。でも、僕はこれは学校教育の本質に背馳(はいち)する要求だと思います。<br.われわれが自分の子どもたちを成熟した市民として育てたいというのなら、そのとき理想とすべきは周りの人から「あなたがいなくなっては困る」と言われるような人のはずです。親族や地域社会の中心にいて、みんなから頼られる人、多くの人がその人の支援やアドバイスを当てにしている人、ネットワークのハブとして機能している人、利害が背反するような人々の間を周旋して、みんなが納得できる「落としどころ」を提示できる人、そういうのが成熟した市民の理想です。
その条件はひと言でいえば、周りの人たちから「あなたがいなくなったらとても困る」と言われることです。
"I can not live without you"というのはもっともつよい愛の言葉ですけれど、教育の目的はそのような言葉を告げられるような人間に育てることです。そのために学校教育をしてきたはずなのに、今「グローバル人材」として要求されるのは「いなくなっても誰も困らない人間」です。企業の都合であっちに行ったり、こっちに行ったり、定年まで世界中ぐるぐるまわることができる。そういう機動性の高い人間が求められている。
でも、これは言い換えると、「どこにも根をおろすことできない人間」のことです。親族からも、地域からも、誰からも頼りにされない。頼りにしようがない、すぐにいなくなってしまうんですから。誰とも親密な恒常的な関係を築けない。築くことができない。そういう人間がいま学生たちに自己形成のモデルとして提示されている。そういう人間であると宣言しなければ、就職試験に受からないんですから。

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