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枢軸時代 [雑学]

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 青銅器時代の貴族社会は二〇〇〇年にわたってユーラシアを支配し、代々の血のつながりだけで権力と富を世襲してきたが、歴史の大変革のなかで崩壊をはじめた。そうした国が衰亡するにつれ、新たな政治体制―ギリシアの徹底した民主制や、中国の中央集権的な官僚制と法律制度―が試みられるようになった。
新しい形態の国政術は、社会的流動性のはじまりをうながした。この国々がはじめた大きな社会変革のただなかで、それまでの貴族文化に組み込まれていた宗教組織も同じく崩壊の道をたどった。
 その結果、ユーラシア各地で宗教運動や哲学運動が盛んになった。
古代ギリシアにおいては、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの時代であり、ピタゴラス教団やオルぺウス教も生まれた。
インドでは、ジャイナ教が台頭し、もっとも重要なことに、ブッダが登場した。
中国においては、本書のテーマである孔子、孟子をはじめとする諸子百家と、宗教運動の時代だった。すべて、おおむね同時代のことだ。
みな一様に、社会秩序が衰退するとき浮上する問いに取り組んでいた。
国を治める最良の方法とは?だれにでも大成するチャンスがあるすばらしい世界を築くには? どのように人生を送るべきか? みな一様に、わたしたちとよく似た問題と格闘していた。
 この枢軸時代は、紀元前一世紀にユーラシア大陸を横断する広大な帝国が成立するまでつづいた。
こうした帝国に適合するように、紀元直後の数世紀のあいだに一連の救済の宗教がユーラシアじゅうに広がった。キリスト教、マニ教、大乗仏教、道教、少しおくれてイスラム教だ。そして数世紀のうちに、ユーラシアの多くの地域、とくにヨーロッパでは、帝国の崩壊と貴族支配への復帰を経て、哲学と宗教の試みの期間が終わりを迎えた。
 枢軸時代の社会の変化は、地理的に広い領域に驚くほど似かよった発展をもたらした。
孔子やブッダやギリシアの哲学者が互いの存在に気づいていたという証拠はないし、まして互いの思想を知っていたという記録はなどない。ところが、紀元前五〇〇年ごろにまるで類似点のないユーラシアの各地で起こった主要な哲学運動は、世界を変えなければならないというまったく同じ信念をもっていた。~中略~
 同時に、人々は重大な文化的危機の時代に生きていると自覚していた。この時代はたえまない戦争の時代であり、とくにギリシア、北インド、中原(ちゅうげん)(黄河の中下流域)では争いがつづいた。のちに大規模な哲学運動や宗教運動の多くが出現するまさにその地域だ。
そこでは、人々が道を踏みはずし、素朴な礼儀に沿って生きるための行動規範を捨ててしまったという意識が蔓延していた。
古代ギリシアの詩人ヘシオドスは、この時代の風潮(エートス)をとらえ、人間関係がもろくも崩れてしまった時代に生きていることを嘆いた。ヘシオドスによると、父と子は反目し合い、子どもは年老いた親の世話をせず、兄弟姉妹は互いに争い、人々は”暴力への賛辞”
を惜しまなかった。
 宗教運動や哲学運動が勃興しはじめたのは、この文化的な危機のただなかだった。

P37
 中国の中原で興隆した運動も、(住人注;人々が道を踏みはずし、素朴な礼儀に沿って生きるための行動規範を捨ててしまった時代の)かわりとなる世界を築くことに重点を置いた。
しかし、中原での運動の解決策は、社会からの離脱でも高次の超越的な王国の追求でもなく、日々の暮らしのパターンそのものを修正することだった。
 日常が重視されたのには、つぎのような背景がある。
中原では、青銅器時代の世襲社会の崩壊に対する一つの反応として貴族のすぐ下の階級から出た知識人たちが運営する新しい国が誕生した。生まれではなく能力によって地位をつかんだ人たちだ。新しい官僚制のなかで職を得て高い身分につきたいと望み、教養を身につけようとする人がますます増えていった。
教養が身につくにつれ、人々はあるがままの世界への不満をつのらせ、別の生き方をじっくり考えはじめた。この時代に中国ではじまったほとんどの宗教運動や哲学運動には、育ちつつあった知識階級から出た名士がひしめいていた。
 孔子もその一人だ。この偉大な思想家は、青銅器時代の最後の大王朝である周王朝の衰退期に生きた。

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DSC_5037 (Small).JPG平尾台


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