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右脳マインド [雑学]

P174
手術直後の情報処理のレベルでは、自分に苦痛を与えるものと快楽を与えるものとの違いが、ハッキリわかってきていました。右脳の夢の国に出かけているいるときは魅惑的でステキなのですが、なんでも分析したがる左脳にかかわることは苦痛でした。
回復に向けて挑戦することは、よくよく考えた上で決めたことですが、有能で思いやりのある看護人に囲まれていることがとても大切でした。独りだったら、正直言って面倒くさい努力なんてしなかったでしょう。
 左脳が判断力を失っているあいだに見つけた、神のような喜びと安らぎと静けさに身を任せるのをやめて、回復への混沌(こんとん)とした道のりを選ぶためには、視点を「なぜ戻らなくちゃいけないの?」から、「どうやって、この静寂な場所にたどり着いたの?」へ変える必要がありました。
 この体験から、深い心の平和というものは、いつでも、誰でもつかむことができるという知恵をわたしは授かりました。涅槃(ねはん)(ニルヴァーナ)の体験は右脳の意識の中に存在し、どんな瞬間でも、脳のその部分の回路に「つなぐ」ことができるはずなのです。
 このことに気づいてから、わたしの回復により、他の人々の人生も大きく変わるにちがいないと考え、ワクワクしました。他の人々とは、脳障害からの回復途中の人々だけでなく、脳を持っている人なら誰でも!という意味です。

P216
 脳卒中を体験する前のわたしは、左脳の細胞が右脳の細胞を支配していました。
左脳が司(つかさど)る判断や分析といった特性が、わたしの人格を支配していたのです。
脳内出血によって、自己を決めていた左脳の言語中枢(ちゅうすう)の細胞が失われたとき、左脳は右脳の細胞を抑制できなくなりました。その結果、頭蓋(ずがい)の中に共存している二つの半球の独特な「キャラクター」のあいだに、はっきり線引きできるようになったのです。
神経学的な面においては、二つの脳は単に違う方法で認知したり、考えたりするだけではなく、この二つは認知する情報の種類にもとづいて、非常に異なる価値判断を示し、その結果、かなり異なる人格を示すことになります。
 脳卒中によってひらめいたこと。
 それは、右脳の意識の中核には、心の奥深くにある、静かで豊かな感覚と直接結びつく性質が存在しているんだ、という思い。右脳は世界に対して、平和、愛、歓(よろこ)び、そして同情をけなげに表現し続けているのです。

P227
 右脳マインドの性格は冒険好きで、豊かさを喜び、とても社交的。言葉のないコミュニケーションに敏感で、感情移入し、感情を正確に読み取ります。
宇宙とひとつになる永遠の流れを気持ちよく受け入れます。それは聖なる心、智者(ちしゃ)、賢人、そして観察者の居場所なのです。直観と高度な意識の源泉です。右脳マインドは常にその時を生きていて、時間を見失います。
~中略~
 右脳マインドは新しい可能性を受け入れて、枠にとらわれず自由に考えます。左脳マインド(どちらも同様に呼ぶことにします)が決めた枠内の規制や規制なんかには縛られません。
ですから右脳マインドは、新しいことにトライしようという意欲があり、とても創造的なのです。それは混乱(カオス)さえも、創造的なプロセスの第一歩として評価します。
運動感覚があり、機敏で、世界の中で流体のように動くからだの能力が大好き。細胞が「直観」として伝える微妙なメッセージにも耳を傾けます。右脳マインドは触って体験して学習するのです。

P330
 右脳は、言語以外のコミュニケーションを解釈すえうことによって、左脳の言語中枢の働きを補います。右脳マインドは声の抑揚や顔の表情、からだの身振りなどの微妙な言葉の「あや」を評価し、コミュニケーションの全体像を見て、その表現全体のつじつまがあっているかを判断します。~中略~
 大脳の左半球に損傷を負っている人は、言葉をつくったり理解したりすることができません。言語中枢の細胞が傷ついているからです。でも、彼らは大脳の右半球の細胞のおかげで、相手が嘘をついているかどうかが分かるという、天才的な能力をしばしば発揮するのです。逆に、もし大脳の右半球に損傷を受けていたら、その人はメッセージの感情的な内容を適切に判断できない可能性があります。

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき
ジル・ボルト テイラー (著), Jill Bolte Taylor (原著), 竹内 薫 (翻訳)
新潮社 (2012/3/28)

DSC_0066 (Small).JPG太刀浦海岸


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