外発的動機づけ [教育]
外発的動機づけとなるものは、何か食べられるとか、これが終わったらタバコを吸おうとか、一カ月働いたら給料がもらえる、といった具体的な褒美である必要はなく、もっとも原始的な安上りな方法は、「褒めること」です。褒められたら、どういうわけかわかりませんが、人間は嬉しくなります。不思議な生き物です。
もう一つは、何かを達成したときの「嬉しさ」。それまでわからなかったことが、「なるほど、こういうことだったのか」と理解できたときの喜びや快感。
~中略~
結局、心地よさを感じる脳部位「報酬系」に働きかけるのであれば、何でも動機づけになるということです。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P60
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
犬飼石仏 >
志は高く、一回のハードルは低く [教育]
仕事の正確度を高めたければ、多くの行程をひとまとめにせず、細かなステップに分け、そのたびに報酬を与えるほかはないというわけだ。
報酬は目に見えるご褒美である必要はない。何かをやり遂げたという達成感もまた外発的動機となる。実際、目標を達成したときの”感激”は十分な報酬である。
「目標は高い方がよい」とよく言われるが。これでは達成して報酬を得る回数が減るばかりか、達成できずにむしろ挫折を味わうことにもなりかねない。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P54
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)
- 作者: 裕二, 池谷
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/05/28
- メディア: 文庫
パーフェクトを期待するな [教育]
叱ってやるのは親の慈悲 [教育]
涙がたまって木目がぼやけると、きまっていわれた言葉も忘れない。
「おまえ、なんで泣くんだ。正直にいってごらん。足がしびれたか、それとも腹がたっているのか?」そして
「ものを教えてもらっている最中に、むやみと泣くものじゃない」という。なつかしい。
あの頃もその後も、私は無限に父に叱られるうまれつきなんだ、というようにおもっていたが、なにが無限なものか。
三十年四十年はまたたく間だった、いまはもう、この机の横に呼びつけ、叱ってくれる声はない。
叱られなくなって、叱られる仕合せをおもう。
叱られない環境などちっともいいものではない、私にとっては。
叱ってやるのは親の慈悲、とは俺はいいたくないが、おまえたちを叱るのは実は骨が折れるんだ、といわれてさすがの弟も困った表情をしたのなども昨日のようである。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P218
三徳山三仏寺文殊堂1
教育の受益者は本人ではなく、社会全体 [教育]
かの国(住人注;アメリカ)は基本的に「自助の精神」を重んじる国です。アメリカ社会における理想的な人格とは「self-made mann」です。
他人に依存せず、誰からも支援されず、独力で地位も、財産も、威信もすべて築き上げた人間を敬する伝統があるわけです。「開拓者の国」ですから。 ですから、この国では「弱者の支援」というアイディアがほんとうの意味で根づいたことはないのかも知れません。
例えば、アメリカ教育史上の大問題は、公教育の導入に多くの市民が反対したことです。
公教育の理念自体はコンドルやルソーなど、一八世紀のフランスでできたものですが、行政的に公教育が導入されたのはアメリカが最初です。
アメリカは公教育の先進国なのです。ただ、この公教育制度に対して、つまり「税金を使ってすべての子どもたちに初等中等教育を施す」という仕組みに猛然と反対した市民たちがいた。
彼らは教育の受益者は「教育を受ける本人」であると考えた。子どもたちが学校に通い、そこでしかるべき教育を受けて、有用な知識や情報や技術を身につけて、資格や免許をとり、社会的上昇を果たすとするならば、教育の受益者は子どもたち自身だということになる。
だとすれば「受益者負担」の原則を適用して、教育経費は受益者たる子どもたち自身が、あるいはその扶養者である親が負担すべきではないのか、そこにわれわれの納めた税金を投じるのはアンフェアである、そう言って反対する人たちが出現してきた。これは反論のむずかしいロジックでした。彼らはたしかに刻苦勉励して税金が払えるような身の上になった。だから、自分の子どもたちにそれなりの教育を与えることができるようになった。
けれども、自分ほども努力していないし、才能もない貧乏人たちの子弟のためになぜ教育機会を提供しなければならないのか、その理由がわからない。彼らが教育を受けて、それなりの社会的能力を獲得すれば、自分の子どもたちとポストをめぐって競合することにもなりかねない。 なぜ、自分の懐を痛めてまで他人の子どもに自分の子どもに自分の子どもを蹴落とすチャンスを提供しなければならないのか。
教育の受益者は教育を受ける本人である。それなら、教育を受けたいものはまず働いて、金を貯めて、それを自己投資すべきである。~中略~
それでも公教育が実現したのは、公教育論者たちが納税者たちを「短期的には損だが、長期的にはお得」という利益誘導のロジックを用いて説得したからです。~中略~ どう転んでも、こどもたちに教育を施したほうが長期的に見れば「金になる」んです。そういうふうに説得した。
でも、僕は今でも、こういう経済合理性のロジックで公教育の導入に成功したという歴史的事実そのものがアメリカの根本にある種の「ねじれ」を呼び込んだのではないかと思います。
「学校教育」というのは、それで誰かが「金を儲ける」ことができるから有用であるというような理屈で基礎づけてはならないものだからです。
学校教育の受益者は教育を受ける子どもたちではありません。誤解の多いことなので、繰り返し強調しますが、学校教育の受益者は本人ではなく、社会全体なのです。
われわれが学校教育を行う理由は、一言で言えば、われわれ共同体を維持するためです。集団として生き残るためです。次代の共同体を支えることのできる成熟した市民を育成するためです。自余のことは副次的なことにすぎません。
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P316
親や教育者の仕事 [教育]
そもそも、受験や卒論は自分に対して徹底的に負荷をかける行為です。ある程度の負荷は成長に欠かせないものでもあり、それ自体悪いとは思いません。高校生や大学生にもなれば、自ら望んで負荷をかけていくものです。
しかし、傍で見ていて「これ以上は難しいな」と判断したら、その負荷を外してやらねばなりません。
これは、親や教育者の仕事でしょう。
畑村洋太郎
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2010/7/23)
P187
40歳の教科書 親が子どものためにできること ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/07/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
嘉麻市立織田廣喜美術館
教えるタイミングと方法 [教育]
聖人の藥を投ぐること機の深浅に随い、賢者の説黙は時を待ち人を待つ。
般若心経鍵
聖人はその人にあったやりかたで導く方法を考え、 賢者は時が満ちるまで黙して語らないものです。
空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
道について一〇一
藤松小学校運動会
食育 [教育]
給食という食のシーンが、魚を美味しく食べさせるのに適していません。給食には厳しい予算的制約があり、そもそも安い魚しか利用できません。~中略~
給食で食中毒を起したりすると大問題になります。鮮度劣化が一番怖いので、安心な冷凍品が望ましい。さらに徹底的に加熱すればなお安心です。しかし、加熱し過ぎると水産物は過剰に脱水され硬くなります。冷えた状態ではさらに硬くなります。
水産物の調理は火加減や食べる温度が重要です。表面はカリッと焼いて、ギリギリのところで火を止め、なるべくジューシーで温かいうちに食べるのが美味しい。しかし何百食も一気に作るのに、そんな細かいことは気にしてはいられません。やはり揚げ物がまとめて大量に調理できて、確実に火を通せるので好まれています。
冷えて硬くなった魚の揚げ物を、プラスチックや金属の皿の上に載せて、牛乳と一緒に食べる。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P180
三つ子の魂百まで [教育]
アドラー心理学では、行動は信念から出てくる、と考えますから、自立し、社会と調和して暮らせるという適切な行動ができるためには、それを支える適切な信念が育っていなければならないのです。
ここでいう信念は、自己や世界についての意味づけの総体であり、「ライフスタイル」と呼ばれています。
アドラーは四、五歳といっていますが(「子どもの教育」一二五頁、「個人心理学講義」三二頁など、)、現代アドラー心理学では十歳前後である、といわれています。
子どもはライフスタイルを個々の体験の中形成するわけですから、親や教師は、子どもと接する際絶えず自分の行っていることが、子どもの適切な信念を形成する援助となっているかを点検していかなければなりません。
~中略~
ときに自分のライフスタイルが不便であるということに思い当たるような経験をしたとしても、一度身につけたライフスタイルを容易に変えることはありません。
不便でも慣れ親しんだライフスタイルで生きるほうが、次に何が起こるかという予想もできますから、実際には変えようとはしません。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P40
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
- 作者: 岸見 一郎
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/09/15
- メディア: 新書
やればできるのに、といったら決してしない [教育]
(住人注;前述のケースは) 勉強しようとしない子どもにあなたはやればできるのに、といったら決して勉強しないというのと同じケースであるわけです。
そのような子どもたちは、やればできるという可能性を残しておきたいのであって、実際に勉強してできないという現実に直面することを恐れるのです(*)。
(*) 課題の達成が困難なときにそこから逃げ出すライフスタイルをアドラーは「すべてか無か」という言葉で説明します(「子どもの教育」一二一、一三四頁)。成功することが確信できなければ最初から挑戦しようともしないのです。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P153
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
- 作者: 岸見 一郎
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/09/15
- メディア: 新書
国家の盛衰は、教官の良否にかかわる [教育]
およそ、人を認識するにしても、教育するにしても、また優秀な人材に仕立て上げるにしても、教官の器量が英雄に価すれば、英雄を知ることができ、聖賢の域に達していてこそ、はじめて相手が聖人・賢人であることを認識できるものであります。
器量を小さい凡人の身で、英雄・聖賢の資質を秘めた者を見出し、これを立派に養成し、仕立て上げるなどということができぬものであるというまでもありません。
ただ今の藩校の状況では、もし並々ならぬ才能を秘めた人材がいたとしても、教官側からこれを見抜いて意のままに指導し、畏敬の念を抱かせ、学徳をもって感化するなどのことはできるはずがなく、恐らく、かえってその者から教官側の力量を見すかされ、あなどられ不遜な態度をもって振る舞われるといったことも、生じかねません。
そしてそのような事態に立ち至れば、教官の威信は軽くなってしまい、教官の心中に怒りや道理にもとる感情が、盛んにわき起こってくることと思います。
教官がそのような不安定な心で学生に接すれば、せっかくの意志強固でこせこせしたところのない優秀な人物を抑えつけ、そののびのびした精神のはたらきを妨害する好ましくない結果を生じ、大切な人材をきず物にし、指導のいかんによっては、正しい方向へ導くことのできる心を、かえって邪道へと追い込んでしまうものと思います。
意見書
啓発録
橋本 左内 (著)
講談社 (1982/7/7)
P189
なぜ勉強しなければいけないの? [教育]
P232
六歳の子どもが手を挙げて「先生、それを学ぶと何の役にたつんですか?」と言うとき、子どもは子どもなりに「有用性のモノサシ」を持っているわけです。でも、問題なのは、その六歳児のモノサシで世界中の価値がすべて計れると思っていることです。
だから、そういうときは、「バカモン、子どもは黙って勉強しろ!」と言うのでいいんです。~中略~
「いいから黙って」という言葉が物質的な迫力を持つためには、「君には君がなぜ勉強しなければいけないのか、その理由がわからないだろうが、私にはわかっている」という圧倒的な知の非対称性が必要なんです。子どもが、「あ、この先生は私が「私についてしらないこと」を知っている」と実感しないと、「いいから黙って」は奏功しない。
P234
子どもに四書五経の素読なんかさせたって、学問的有用性はまったくないんです。
ではいったい何を教えているのかというと、「子どもには理解できないような価値が世界には存在する」ということそれ自体を教えているわけです。「お前が漢籍を学ばなければならない理由を私は知っているが、お前は知らない。」という師弟の知の非対称性そのものを叩き込んでいるわけです。極端な話、漢籍の内容なんかどうだっていいんです。子どもに「手もちの小さな知的枠組みに収まるな」ということを殴りつけて教え込んでいる。
子どもに「オープンエンド」ということを教え込んでいる。それさえわかれば、あとは子ども自身が自学自習するから。
P237
特に授業に対して不熱心な子どもたちに共通して感じるのは、単なる怠慢や不注意ではないんです。彼らはだいたい「わかったような顔」をしているんですよ。
「すべて、わかっているんだよ」と。「おまえがやろうとしているようなことは全部お見通しなんだよ」という顔をする。これは先ほど言ったとおり、消費者マインドを刷り込まれた子どもの共通性格なんです。
自分の前に登場してきた未知のものに対して、一覧性を要求する。彼らはこれを正当な要求と思っていて、親も教師もそれに同意している。これが一番いけないと思います。
こどもたちにはこれから学ぶことの価値も意味も実はわかっていないという根源的な事実を教えるのが、教育の存在理由なわけですから、子どもに「みんなわかっているん」という態度を絶対に許してはいけない。でも、現在はまったくその逆になっている。
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
本番はもっとタフでダーティだ [教育]
エディはよく言う。「日本の練習は練習という環境下でプレッシャーもなくきれいなトレーニングをしているがそれは試合の状況ではない」と。
ミスが起きれば「ドンマイ、次だ。次」とよく言う。ありきたりな言葉で言えば、練習のための練習なのだ。
試合に次はない、ミスは起きるだろう。しかしそのミスを防ぐだけの準備をしたのかが重要なのだ。
五郎丸日記
小松 成美 (著)
実業之日本社 (2015/12/18)
P134
教育 [教育]
教育とは、もって生まれた資質以上に人間を変え得るものだ、~略
まず、私が幼い君にしたことは、まだ判断力のないういちに、善を愛する気持ちや人を敬う気持ちを植えつけることだった。
~中略~
私が次に志したのは、君に、実質的で片寄りのない教育を施すことだった。
~中略~
そして今、最後に残っているのが、人との接し方、礼儀作法を教えることだ。
これを知らなければ、せっかく身につけたものが不完全となり、輝きを失い、ある意味では無駄になってしまうだろう。
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P230
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2011/03/22
- メディア: 文庫
都久夫須麻神社 竜神拝所2
平等で個を尊重すれば子は育つのか [教育]
「先生は生徒より偉い」とか「親は子より偉い」という当然ことは、今では「人みな平等」に真向から衝突してしまいます。
「学校で勉強をもっと厳しいものにする」というのは当然です。
上海の中学を出た後、親の都合で日本の高校に入った中国人の少年は「上海で毎晩十二時までかかるほど宿題が沢山出た。日本は少なすぎて心配なくらい」と言っています。(SANKEI EXPRESS、二〇一〇年十二月8日)。
~中略~
子どもを傷つけてはいけない、というのが社会のコンセンサスとなって厳しいしつけも厳しい勉強もできなくなっているのです。この子供中心主義こそが、悪評高くたった数年で終わりとなった「ゆとり教育」の生みの親でもありました。
また社会や国家につくすという美徳は、GHQが教育勅語を廃止し公より個を尊重する教育基本法を作成すると同時に消滅の運命を定められたと言っていいでしょう。
公を否定し個を称揚することはGHQが産み、そしてそれを継承した日教組が育てたものですが、これを変えようとする者はGHQの方針になぜか未だに忠誠を尽くしているほぼ全てのマスコミにより、直ちに軍国主義者のレッテルをい貼られます。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P24
悪口を以て僧を呵嘖し毀呰(きし)すること莫れ。 [教育]
教育基本法第九条 [教育]
梅原 学校の問題もあるな。今の教育に一番欠けているのは道徳教育です。
道徳の元になっているのは宗教ですよ。ところが、今の学校教育は宗教を排除していますね。
梅原猛
玄侑 確かに、各宗教のエッセンスだけでも、学校で教えてもらわないと困りますね。
教育基本法をよく読むと、宗教が完全に排除されているのではなくて、「特定の宗教を生徒に勧めてはいけない」ということなんですけど、先生もいろいろな非難が怖くて、宗教には触らないでおこうというのが実態ですね。「お寺の前では合唱して、神社では拍手を打つんですよ」と教えただけで、訴えられてクビになった人もいますから。
だけど実際には、教育基本法第九条に「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は,教育上これを尊重しなければならない」という条文もあるんですよね。
この寛容さというのも、各宗教を知らなくては培われません。
玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P168
山口市 清水寺1
夢を語る人間の責任 [教育]
圧倒的な成功事例をつくってみせること。
これは、大きな夢を語る人間の責任なのです。
しっかりと利益を出してこそ、人は耳を傾けてくれるものだし、そのシステムを評価し模倣してくれます。赤字を垂れ流す病院経営者がどんな崇高な医療改革を訴えようと、誰も耳を貸してくれないでしょう。
北原 茂実 (著)
「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる!
講談社 (2011/1/21)
P21
「病院」がトヨタを超える日 医療は日本を救う輸出産業になる! (講談社プラスアルファ新書)
- 作者: 北原 茂実
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/01/21
- メディア: 新書
大山
ほめるのではなく勇気づけ [教育]
ほめるというのは、能力のある人が能力のない人に、あなたは<よい>と上から下へと相手を判断し評価する言葉ですから、下に置かれた人は愉快ではないのです。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために
岸見 一郎 (著)
KKベストセラーズ (1999/09)
P62
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
- 作者: 岸見 一郎
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 1999/09/15
- メディア: 新書
到津の森公園
エリートを育てろ [教育]
日本の実用英語教育の現状はきわめて中途半端です。今の日本では小学生から英語を広く教えているので、外国へ観光旅行に行った時でもお店で注文は出来ます。
その程度でいいと思っている人が日本の文権を握っているのだとしたら、困ったものです。
十九世紀の英国の植民地のような会話教育です。広く薄く英語教育を行うことも必要でしょうが、少数優秀というインテンシヴな教育はさらに必要です。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P193
質を問わない? [教育]
以前からふしぎでならないことがあります。待機児童何万人といわれ、待機児童をなくせというかけ声は大きいのに、株式会社の参入を許してどんどん保育所の数を増やそう、という動きには慎重になる傾向があります。
株式会社とは営利法人、つまりカネもうけが目的の組織です。子育て支援をカネもうけのためにやってもよい、とは多くのひとびとは思っていないようです。保育所に入れないと嘆く親たちも、どんな施設でもよいとは思っていません。
おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)
P117
いい先生の叱言 [教育]
お師匠さんの人柄というか、しつけというか、身にしみることをいくつか教えてもらった。折れ針がその一つである。
道具類は決して人に借りない貸さない、が規則だった。お師匠さんは自分の折れ針は、ほそい筒型のガラスびんにおさめていた。
あがり針でも錆びのつくのを嫌って、びんには髪油がさしてあった。その保存法を一人の娘が、こころ浅く真似て考え、マッチのあき箱をつかった。
しかも娘心で、マッチのあき箱のきたならしいのを、見よくしようとして、裁ち屑の小切れをちょいと貼って、見せびらかした。
それで、うんと油をしぼられたのである。その娘だけでなく、内弟子も通いの弟子たちも一同に叱られた。
マッチ箱などは、粗末にできているものだから、針の細さと鋭さを囲うことはできない。そのヘナヘナしあたものへ、赤い布などを貼りつけるとは、どういう気か?きれいな小物を持ちたい気はわかるが、かりにも針仕事を習う気の人間なら、もっと「仕事の道具」ということをまじめに考えてもらいたい。
そうすれば赤い布を貼るよけい事をするより先に、もっとしっかりしたいれものを探すほうが大切だとわかる筈だ、といった。
~中略~
いい先生の叱言というものは、聞いた耳一代を通じて効果がると感じる。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P128
三徳山三仏寺かずら坂
女功をおしゆべし [教育]
凡(そ)女子を愛し過して、ほしいままにそだてぬれば、おつとの家にゆきて、必(ず)おご(驕)りおこりて、他人の気にあはず、つゐには、しうとにうとまれ、夫にすさめられ、夫婦不和になり、おひ出され、はぢをさらすものほし。
~中略~
女子には、はやく女功をおしゆべし。女功とは、をりぬひ、うみぬひ、すすぎあらひ、又は食をととのふるわざを云。
女人は外事なし。かやうの女功をつとむるを以(て)、しわざとす。
和俗童子訓 巻之五
総論 下
養生訓・和俗童子訓
貝原 益軒 (著), 石川 謙 (編さん)
岩波書店 (1961/1/5)
P271
「ほめる」と「ねぎらう」 [教育]
「ほめる」という行為と「ねぎらう」という行為は、一見同じように見えます。
たとえばどちらも「よくやった!」という一言なのかもしれない。
しかし、堀之内先生(住人注;堀之内高久、横浜国立大学助教授、臨床心理家)はおっしゃいます。
「ねぎらい」には、相手に対する敬意が込められていると。
~中略~
堀之内先生はこうおっしゃいます。「ねぎらい」とは無条件の行為だ、と。
「ほめる」というのは条件付きの行為、ある条件が整ったときに、初めて「ほめる」という行為ができる。
小阪裕司 (著)
リーダーが忘れてはならない3つの人間心理
フォレスト出版 (2010/3/10)
P69
リーダーが忘れてはならない3つの人間心理 (Forest2545Shinsyo 10) (フォレスト2545新書)
- 作者: 小阪裕司
- 出版社/メーカー: フォレスト出版
- 発売日: 2010/03/10
- メディア: 新書
不退寺1
近代日本のいちばん大事業は教育である [教育]
人間の強さ [教育]
これはよくスポーツ選手の競技引退後のキャリアプランニング時に話すことなのですが、ビジネスやスポーツに限らず、あらゆる分野において、「強い人」あるいは「使える人」というのは大きく二つのタイプに分けてよいのでは、と思っています。
言い換えれば、人間の「強さ」の出し方、パフォーマンスの発揮の仕方は、二通りあるということです。
まずひとつが「突出型」。いわゆる「一芸に秀でた人」の強さです。
そしてもうひとつが「バランス型」。こちらは文字どおり、いろいろなことがバランスよくできるという強さの出し方です。
メンタルトレーニング実践講座
田中ウルヴェ京 (著)
PHP研究所 (2009/7/18)
P42
教育の経済学 [教育]
教育の経済学という経済学の分野がある。経済学の手法を用いて、高等教育を受けた時の所得上昇効果を分析したり、少人数学級の教育効果を分析したりする分野である。
ところが、教育の専門家のなかには、経済学の視点で教育をとらえることに拒否反応を示す人が多い。
それは、教育の分野では、「より所得を稼げるようになること」ではなく、「豊かな人生を送ることができるようになること」を目的にしていて、豊かさとはお金以外の価値にあるということを教えようとしているからだろう。
だから、お金で教育の価値を測るような経済学のアプローチは許しがたいのではないかと思う。
もっともな感情だと思うが、誤解もある。経済学者は。お金にしか価値を見出さないわけではない。もちろん、お金がなくても幸福な人生を送ることは可能だ。しかし、最低限のお金がないと、幸福な人生を送ることが難しくなるのも事実だ。実際、さまざまな幸福感に関する統計をみても、ある程度の年収までは、所得が高くなるほど平均的な幸福感も高くなっている。
競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P220
あるべき教育の姿 [教育]
彼女(住人注;リゴベルタ・メンチューさん、先住民の人権を確立するための闘いによって、ノーベル平和賞受賞)に今日あるべき教育の姿について尋ねた。
「あたらしいカタチの教育体系が必要です。祖父母、両親、兄弟姉妹、共同体から受ける教育は現在の学校教育とは非常に異なっていますが逆に非常に奥が深いものです。
学校教育を受けるとそれがすべてだと思い込んでしまいます。周囲から受ける教育を信じなくなり、教科書に出ていることだけを信じるようになります。だけど、一つの価値観だけで教育されると、人間は画一化、機械化していくように思えます」
関野 吉晴 (著)
グレートジャーニー―地球を這う〈1〉南米~アラスカ篇
筑摩書房 (2003/03)
P142
グレートジャーニー―地球を這う〈1〉南米~アラスカ篇 (ちくま新書)
- 作者: 関野 吉晴
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2021/08/11
- メディア: 新書
育児書よりも「人」 [教育]
最近のお母さん方は、育児の本やインターネットの情報に頼りがちです。
生真面目なお母さん方は、赤ちゃんを大切に思えば思うほど、育児書などに書かれた通り完璧に育児をしないといけないと思いつめてしまう傾向があります。
育児は、これまで学校や職場で経験したような「教えられた通りやれば、必ず成果があがる」というものではありません。
成長には個体差があるし、赤ちゃんやお母さんの個性もあります。
~中略~
子育てで大切なのは、育児書よりも「人」です。
ご両親でも、お友達でも、会社や学校の先輩でもかまいません。
たくさんの人とコミュニケーションをとって、話を聞いて、子育てにはいろいろなバリエーションがあるのだと学びましょう。
下園壮太
40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
モーニング編集部 (編集), 朝日新聞社 (編集)
講談社 (2011/4/22)
P78
40歳の教科書NEXT──自分の人生を見つめなおす ドラゴン桜公式副読本『16歳の教科書』番外編
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/04/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)