医学 [学問]
もし、人の命を救う合理的な技術だけを議論するんだったら、これは僕は学問ではないし、ましてや科学ではないと思いますね。
単に技術屋さんですよね。そういう職種を医師と呼ぶのであれば、もはや大学で育てる必要はないですね。
運転免許証の教習所と同じでいいですよね。
医学というのはそうじゃないと思うんです。
太田さん流に言うとそんなことを一生懸命議論しても答えがないじゃないかというかもしれないけれども、人にとって人の命っていうのはどういうもので、われわれがそれをどうとらえていかなければいけないかということを真剣に考えている場面が、僕は医学だと信じます。
遠藤秀紀
NHK「爆笑問題のニッポンの教養」制作班 (著), 主婦と生活社ライフ・プラス編集部 (編集)
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
主婦と生活社 (2011/1/7)
P113
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2011/01/07
- メディア: 単行本
地蔵埼4
道を明らかにし術を尽くせ [学問]
教養 [学問]
自分のいる場所でしっかりと立とうとすること、そしてそのために不断に「学ぼう」とすること、それが「教養」の基本的な条件であるように、今の私には思えるのだ。
~中略~
自分がどんな場所に「いる」のか、そのことを問わないで、「教養」などありえない。自分の生き方と離れた知識など単なる「趣味」にすぎない。
自分の居場所を深く掘り下げ、他の人々を迎え入れることができるほど柔軟に開く―それこそが「教養」の力なのだと思う。
人間は「理解」することができる。英語なら、understandである。「何かの下に立つこと」である。自分とは異なるものを「理解」しつつ、あくまでも自分の「居場所」として、そこに「立つ」。
世界を、歴史を、人々を、そして自分をunderstandしよう。
小林康夫
NHK「爆笑問題のニッポンの教養」制作班 (著), 主婦と生活社ライフ・プラス編集部 (編集)
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
主婦と生活社 (2011/1/7)
P73
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2011/01/07
- メディア: 単行本
美保関灯台1
あらゆる情報を集めよ [学問]
研究テーマが何であれ、十分な知識を得るには自国以外の国々、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ロシア、イタリアなどが提供するものを汲み上げねばならない。
学問に忠誠を尽くすものは偏見を持ってはならない。心を広く持ち、受けるに値する物すべてを得ようという断固たる決意のもとに、あらゆる情報源から利用できるものは積極的に利用すべきである。
諸君がいかなる知識の流れに乗って船を進めようとかまわないが、ただ、その河に水を注ぐ個々の小川は多くの国々から流れてきているという点に留意すべきである。 研究成果をあげるためには、他国の学者との交流を持たねばならない。~中略~
他国での研究に無知であったがために、すでに解決積みの問題や解決不可能だと判明している問題に貴重な時間を何年もかけてしまった、という事態が往々にして起る。
そこで必要なのは、書物や雑誌からの知識だけでなく、直接人間から得られる知識である。
できうることなら、学問を志す者は他国の人々に会うことが望ましい。旅をすることによって視野が広がり、曖昧な推測ではなく確信が持てるようになるばかりか、外国の研究者と個人的な交流を持つことで、自分がやっている研究の欠陥や成果がよりはっきり判明し、自分より能力が劣っていたり機会に恵まれない同僚の仕事にもっと寛大な眼を向けることができるようになる。
平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P355
誰のための学問 [学問]
此の学は己れの為にす。
固( もと )より宜しく自得を尚( たっと )ぶべし。
駁雑( はくざつ )を以て粧飾と倣( な )すこと勿れ。
近時の学、殆ど謂わゆる他人の為に嫁衣装を倣すのみ。
「言志耋録」第一九条
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P195
三学戒ー学問の力 [学問]
道を行ひ楽しむ可し [学問]
二九 道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也。
事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽しみ、若し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥(いよいよ)道を行ひ楽しむ可し。
予壮年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想
西郷 隆盛 (著), 猪飼 隆明 (翻訳)
角川学芸出版 (2007/04)
P127
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 文庫
志の至ると至らざる [学問]
有智高才を用いず、霊利聡明によらぬは、まことの学道なり。
あやまりて盲聾痴人のごとくなれとすゝむるは非なり。
学道は是れ全く多聞高才を用いぬ故に、下根劣器と嫌ふべからず。
誠の学道はやすかるべきなり。
然あれども大宋国の叢林にも、一師の会下の数百千人の中に、まことの得道得法の人はわづかに一人二人なり。
然あれば故実用心もあるべきなり。
今ま是を案ずるに志の至ると至らざるとなり。真実の志を発して随分に参学する人、得ずと云ふことなきなり。
懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P58
狗留孫山修禅寺(野生の鹿)
困して学ばざるは、これを下と為す [学問]
九 孔子曰く、生まれながらにしてこれを知る者は上なり。
学びてこれを知る者は次なり。
困( くる )しみてこれを学ぶはまたその次なり。
困して学ばざるは、民にして斯( これ )を下と為す。
李氏篇
論語
孔子 ( 著 ), 貝塚 茂樹
中央公論新社 (1973/07)
P474
歴史を学べ [学問]
いまわれわれが自分の先祖のことについて見るとき、五代六代以前のことがどれほど正しく伝承されているだろうか。
私はそのことについて教えていた学生たちによく質問したが、わかっているのはせいぜい祖父,曽祖父の時代までのことであり、高祖父のことについて知る人は稀である。
一〇代おなじ土地に住んだということのはっきりしている家は、私の教えた学生の中で一割にも満たないのである。
日本文化の形成
宮本 常一 (著)
講談社 (2005/7/9)
P10
学問は米を搗きながらも出来るものなり。 [学問]
読書 [学問]
(住人注;安岡正篤曰く)本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読むと言っても、そうかそうかと本から終始受ける読み方です。これは読むのではなくて、読まれるのです。
書物が主体で、自分が受身になっている。こちらが書物から受けるのである、受取るのである。つまり吸収するのです。
自分が客で、書物が主。英語で言えばpassiveです。もっと上品に古典的に言うと「古教照心」の部類に属する。
しかしこれだけではまだ受身で、積極的意味に於いて自分というものの力がない。
そういう疑問に逢着して、自分で考え、自分が主になって、今まで読んだものを再び読んでみる。
今度は自分のほうが本を読むのです。
虎関禅師は、「古教照心、心照古教」と言っておるが、誠に教えられ考えさせられる、深い力のある言葉です。
自分が主体になって、自分の心が書物のほうを照らしてゆく。
岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P187
学問の旨 [学問]
良知のほかに何もなし [学問]
外(そと)にねがう百の思按(しあん)を打捨(うちすて)よ
良知(りょうち)の外(ほか)に利(り)も徳(とく)もなし
(福本子を送る)
藤樹四十歳の作。歌の前文に、「心の学びには利害の拘攣(こうれん)をとかざれば良知に至りがたし」云々とある。
心学をおさめるには、わが身にまとっている利害得失といったよろい兜を取り除かなければ、良知にいたることはむつかしいのだと。
つまり、藤樹の説く学問は、それによってなんらかの社会的地位とか、報酬を得ようと考えることは、おおきな間違いである。
歌の「外にねがう百の思按」というのは、まさしくそれにあたる。そのような損得におおわれた万欲の自分を打ち捨てよ。禅語であらわすと、放下(ほうげ)せよということである。
孔子、曽子、孟子の学問に一貫しているものは、「いにしえの学者はおのれのためにし」(「論語」憲問篇)であり、「おのれを脩(おさ)めて人を敬す」(同)とあるように、わが身の徳を日々あらたにして磨くことにあった。
藤樹もまた、まったく私見も入れずに、孔孟の教えを門人たちに説きひろめた。良知を信じて、それ以外に利益も徳もないのだ。
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P144
儒者 [学問]
P73
心は体の主人(あるじ)である。かつまた、「儒は、その徳で体を潤す」(儒有り、身を澡(そそ)ぐに徳に浴し)と「礼記」(儒行篇)も記しているように、「儒」とは「濡」であって「うるおす」という意味なのだ。
「体をうるおすことは、心をうるおすこと」と理解すべきである。朱子の「孟子集註」(序説)にあるように、「孟子」という書物も「心上(しんしょう)(心のありよう)から説き始めている。「心を知る」と志が強くなり、 「義理」(義の道理)がよくわかるようになるので、学問は上達する。
だが、「心を知らない」と、せっかく学問をしても、ぼんやりとした状態で自己流でやるので、何かに気づいたり新しいことを発見したりする可能性がない。
P79
ただ単に書を講じるだけでは、「真の儒者」とは言い難い。 生まれ持った「本性」を自覚して自身を濡(うるお)している者を真の儒者というのだ。 汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)という熟語で示されるような膨大な量の書物を読破したとしても、「性理」というものがわかっていない者は、朱子が「大学章句」(序)で述べた「書物の文章をただ暗誦させるだけの俗物の儒者」(俗儒(ぞくじゅ)の記誦詞章(きしょうししょう)の習い)でしかなく、真の儒者ではない。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
五倫五常 [学問]
P24
私が教えの道を志した動機から話そう。「孟子」(籐文公(とうぶんこう)上篇)に、こんな言葉がある。
「人には人としての道が備わっている。だが、飽きるほどたらふく食べ、ぬくぬくとした衣服を着るといった自堕落な暮らしを続けて、何の教えも受けないのは、鳥や獣に近い生き方である。
民がそのようになるのを憂慮した古(いにしえ)の伝説の聖人舜(しゅん)は、重臣の一人である契(せつ)に命じて人としての「五倫の道」を教えさせた。
五倫とは、父子間の親愛、君臣間の礼儀、夫婦間の区別、長幼間の順序、盟友間の信義を指す」(人の道あるや。胞食煖衣(だんい)、逸居(いつきょ)して教え無ければ、則と禽獣(禽獣)に近し。
聖人これを憂うることありて、契(せつ)をして司徒(しと)たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親あり、君子義あり、夫婦別あり、長幼序あり、盟友信あり)
これら五つの人倫の道をわきまえるようになるのが、学問の功徳なのだ。
このことから、古の人たちの学問に対する取り組む姿勢を知るとよい。「君子は、本(もと)を務(つと)む」(君子は、物事の根本を理解しようと努力する)と、「論語」(学而(がくじ)篇)にあるように、学問では根本を重視して学ぶことが大切である。
※五倫 「五常」と合せて「五倫五常」と表現されることも多い。本文にあるように、①父子間の親愛、②君臣間の礼儀、③夫婦間の区別、長幼間の順序、⑤盟友間の信義から成る「五倫」に対し、「五常」は①仁、②義、③礼、④智、⑤信で、「五徳」という場合もある。
徳目が重なっているように思えるが、五倫は対象を絞り、五常は対象を絞っていない点が異なる。
滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」では「五常」の順を少し変え、三つ加えて「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)」の八つとした。
P25
人倫の道は、その大本(おおもと)を天に発し、仁・義・礼・智という四つの徳(良心)が中心で、「それ以外に学問の道はない。失ってしまった徳を求めるだけだ」(学問の道は他なし。その放心(ほうしん)を求むるのみ)と「孟子」(告子(こくし)上篇)は説明している。
この心を胸に深く刻んで、聖人の行った足跡を見聞し、手本とすることが大事である。
石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)
稽古は強かれ、情識はなかれ [学問]
いかなるをかしき為手なりとも、良き所ありと見ば、上手もこれを学ぶべし。
これ、第一の手立てなり。もし、よき所見たりとも、我より下手をば似すまじきと思う情識あらば、そのこころに繫縛(けばく)せられて、我が悪き所をも、いかさま知るまじきなり。
これすなはち、極めぬ心なるべし。
~中略~
下手も、上手の悪き所もし見えば、「上手だにも悪きところあり。いはんや初心の我なれば、さこそ悪き所多かるらめ」と思いて、これを恐れて、人にも尋ね、工夫をいたさば、いよいよ稽古になりて、能は早く上がるべし。
~中略~
上手は下手の手本、下手は上手の手本なり
どんな変な役者であっても、すばらしいところがあると見たら、上手であってもこれを学ぶべきである。
これが能と工夫をきわめる一番大切な方法である。
もしも下手の長所を目の当たりにしても、自分より下手な役者の芸を似せまいと思ういさかいの心があったならば、その心に縛られて、自分の欠点をも、きっと知ることはあるまい。
世阿弥 (著), 竹本 幹夫 (翻訳)
風姿花伝・三道 現代語訳付き
角川学芸出版 (2009/9/25)
P118
事物を疑って取捨を断ずる事 [学問]
座右の書 [学問]
単なる知識というようなものは意味のないものです。なるべく心に刻みつけられて、末永く役に立つようにするのに、一番いいことは愛読書を持つことです。
ただたくさん講義を聞き、たくさん書物を読んだだけではなんにもならない。愛読書というものを一冊でも二冊でも持って、それを生涯離さない。言い換えれば、生涯離せないような愛読書、これを座右の書という。
そういう心の通う、心に刻みつけられるような愛読書を持つことを心がけると同時に、克己的に理性的に持つのではなくて、心の中の自然、必然の要求から離せないような書物を持つということだ。
知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P151
読書する時の注意点 [学問]
聖人の声にも覚めず [学問]
P148
いかんせん聖(ひじり)の高く呼(よび)さます
声にも覚(さ)めぬ世の中のゆめ
(翻歌)
P149
今から二千五百年前に生まれた孔子は、当時の人たちに、人間すべからく「君子」たるべきことを説かれた。
そして、私意の病気におかされているのが小人であり、君子は明徳を明らかにしているゆえに、万欲の根を切り払い、つねにこころ平かで広々としている。
孔子などの聖人は、小人の凡夫のために経書をあらわしたが、一向まなぼうとはしない。
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
初学の者には [学問]
初学の者には文義(ぶんぎ)をば大略に講(こう)じ、主意と日用心法(にちようしんぽう)の引合(ひきあい)とをいかにも耳ちかくこまやかなるがよく候(そうら)わんと存じ奉(たてまつ)り候(そうろう)。
(熊左七に与える)
中江藤樹 人生百訓
中江 彰 (著)
致知出版社 (2007/6/1)
P140
自警 [学問]
一、人をあざむくために学問すべからず。
一、人とあらそうために学問すべからず。
一、人をそしるために学問すべからず。
一、人を馬鹿にするために学問すべからず。
一、人の邪魔をするために学問すべからず。
一、人に自慢するために学問すべからず。
一、名を売るために学問すべからず。
一、利をむさぼるために学問すべからず。
佐藤 一斎 著
岬龍 一郎 編訳
現代語抄訳 言志四録
PHP研究所(2005/5/26)
P208
目次 学問 [学問]
学問
- 三学戒ー学問の力
- 学びて、これを約するに礼を以てする
- 先づ誠実の志あって、而る後疑ふ所あり
- 儒者
- 良知のほかに何もなし
- 六言六蔽
- 五倫五常
- 水急不流月(みずきゅうにしてつきをながさず)
- 道を明らかにし術を尽くせ
- 道を行ひ楽しむ可し
- 古に?(なら)えば今に通ぜず
- 自警
- 誰のための学問
- 学問
- 学問の旨
- 過量な剛気を制御するために学問がある
- 文武両道
- 学に勉む
- 英知を得るには時間がかかる
- 教養
- リベラル・アーツ
- 志の至ると至らざる
- 書斎
- 読書する時の注意点
- 読書
- 歴史を学べ
- 稽古は強かれ、情識はなかれ
- 初学の者には
- あらゆる情報を集めよ
- 事物を疑って取捨を断ずる事
- 我見を離るべし
- 学問は米を搗きながらも出来るものなり。
- 困して学ばざるは、これを下と為す
- 聖人の声にも覚めず
- 体系的な知と実戦的な知のミックス
- 医学
- 書きながら考えてみる
リベラル・アーツ [学問]
「リベラル・アーツ」とは、日本の大学でいえば、専門過程に上がる前の1~2年生のときの教養課程での種々の講義のことだ。
リベラルとは本来、「自由」という意味である。つまりリベラル・アーツとは、人間が自由になるための学問なのだ。
有名大学を卒業したというただの肩書きを手に入れるためにではなく、いかに大学でこのリベラル・アーツをきちんと学んだかが、これからの社会では大きな意味を持つと私は考えている。
リベラル・アーツでは、人類が歩んできた歴史や、過去の叡智の結晶である哲学、芸術や文学、自然科学全般について勉強する。
幅広い分野の学問領域を横断的に学ぶことにより、「物事をさまざまな角度から批判的に考える能力」「問題を発見し解決する能力」「多様な人々とコミュニケーションする能力」「深い人格と優れた身体能力」などの力を身につけることを目指す。
僕は君たちに武器を配りたい
瀧本 哲史 (著)
講談社 (2011/9/22)
P281
我見を離るべし [学問]
学に勉む [学問]
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行してゆくことをいう。
従って、先人の忠義や孝行の立派な行いを習っては、直ちにそれを慕いまねし、自分もそうした人々の忠義孝行に、決して負け劣るものかと努力することが、学ということの第一の意義である。
ところが、後の時代になって文字の意味を誤解し、学とは詩や文を作ったり本を読むことであると思っているが、これは間違いである。
橋本 左内 (著)
講談社 (1982/7/7)
P40
啓発録 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ) [ 橋本左内 ]
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英知を得るには時間がかかる [学問]
(16)知識は容易に得られる。だが、英知を得るには時間がかかる」
平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P6