市場金利は利潤を反映する [国際社会]
それゆえわれわれは、どんな国においても、通常の市場利子率が変動するのをみると、資本の通常利潤ともに変動しているにちがいない、と確信してよい。
すなわち、前者が下がると後者も下がり、前者が上がると後者も上がるにちがいない、と確信してよいのである。
そういうわけで、利子の推移によって、われわれは利潤の推移についてある判断をつくりあげることが可能になるのである。
国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P149
痛みを消すための努力 [医学]
P156
痛みをいかにして鎮(しず)めるかという努力は、人類の歴史とともに絶えることなく現在もつづけられている。
人類の知恵によって、口から口へ、手から手へと、数々の鎮静法は伝承されてきた。
人類の有史以来脈々と受けつがれてきたこれらの鎮痛法には、それなりの確固とした科学的根拠が存在するはずである。
古代から伝承されている鎮痛法の数々は、現代の医学という概念で置き換えると、心理学的鎮痛法と刺激鎮痛法に大別することができる。
古代に行なわれた心理学的鎮痛法の代表的なものは呪文と、泣く儀式である。
P165
フィンネソンの文章からもわかるように痛みに関する偽薬効果の存在は、痛みというというものは、いかに心理的要因が大きく関与しているかという事実を如実に物語っている。
呪文には、この偽薬効果が見事に実践されている。
このようにして、古代における「呪文」や「泣く」という鎮静法は、決してスマートな方法とはいい難いが、現代でいう患者と医師の絶対なる信頼関係を基盤にして、音楽療法、偽薬効果、そして、ゲート・コントロール説の実践を完璧に行なっていたのである。まさに、見事という他はなく、痛みの治療の基本が、すべてこの呪文に集約されている事実に、改めて深い感動を抱かずにはいられない。
このような心理学的鎮痛法は、オペラント条件づけ、バイオフィードバック法、催眠法、弛緩鎮痛法、認知的克服法などへと発展し現在に受け継がれている。
痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る (ブルーバックス 748)
- 作者: 柳田 尚
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1988/09/01
- メディア: 新書
敬意を抱かれるには [処世]
どんなに立派な人でも、敬意を抱かれるには、実際に尊敬されるには、ある種の威厳がなくてはならないという話だ。
~中略~
では、どういうものが威厳ある態度なのだろうか。威厳ある態度というのは、尊大な態度とは相容れないものだ。というより、相反するものと言ったほうがいい。
それは、いばり散らすのが勇気ではなく、冗談が機知でないのと同じことだ。
~中略~
威厳のある態度とは、やたらにゴマをすることではない。八方美人のように振舞うことでもない。反対に何でも逆らうことでもない。口うるさく議論をふっかけることでもない。
自分の意見は控えめにはっきり言う。他の人の話は気持ち良く聞く。
こういう姿勢は威厳のある態度と言えるだろう。
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P45
父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2011/03/22
- メディア: 文庫
白川郷4
なぜ皮膚はかゆくなるのか [雑学]
アレルギーで最初に起きる反応は、「マスト細胞の脱顆粒」である。~中略~
たとえば花粉のアレルギーのある人が、花粉に接触すると全身のどこにでも存在するマスト細胞に花粉の分子がくっつき、それに誘発されてマスト細胞中の顆粒が放出され、中にあったヒスタミンが組織中にばらまかれる。するとかゆくなる。これが「かゆみ」の始まりである。
なぜ皮膚はかゆくなるのか
菊池 新(著)
PHP研究所 (2014/10/16)
P49
イッチ・スクラッチサイクル [言葉]
かゆみを語るうえで、もっとも重要な問題がある。それが、「無性にかゆくてたまらない状態」を引き起こす最大の元凶である「イッチ・スクラッチサイクル(itch-scratch-cycle)」だ。
「イッチ(itch)」とは「かゆみ」、「スクラッチ(scratch)」は「掻く」という意味である。
そしてイッチ・スクラッチサイクルとは、「かゆい」→「掻く」→「掻いた部分が傷つく」→「傷ついた部分に炎症が起きる」→症状が悪化する」→「もっとかゆくなる」→「さらに掻き壊す」→「掻いた部分がもっと傷つく」→・・・・という悪循環のことを指す。
なぜ皮膚はかゆくなるのか
菊池 新(著)
PHP研究所 (2014/10/16)
P46
可能性はゼロではない [社会]
原子力安全委員会の委員長で、原子力工学の専門家である斑目(まだらめ)春樹・元東大教授は四年前、「(あらゆる事態を想定していたら)原発は作れない」と国会で答弁した。
それを言っちゃあ、おしまいよ、とつっこみを入れたくなるが、まさに人間の営みの限界を言い当てている。
人間とはしょせんその程度であって失敗するものなのだ、という思想において、欧州の人たちは日本人より賢明だ。
「ネバー・セイ・ネバー」(絶対ない、とは絶対言うな)。これが、人工的なシステムを構築する時の命題になっている。
日本だって、科学者や技術者全員が「100パーセント安全も、リスクゼロもない」ことを知っている。だが、それが社会に根付く過程で「安全神話」になるのは不思議だ。
たとえば自分の街に原発を建てたいという電力会社の人がこんな説明をしたら、真っ先に反対する。
「この原発は、一定の確率で必ず事故を起こします」
だが、「絶対に事故を起こさないとは言えませんが、あり得る事態を想定して、全力で安全対策を講じます」と言われたら、少しは考えてみようかなと思うだろう。
しかし、その言葉を裏返せば「想定外のことが起きたら保証の限りではありません」という事実が隠れている。それが今回の本質だ。
彼らが「想定外」を免罪符にするのは論外だが、私たちも「想定外の事態が手に負えなくなるようなことには手を出さない」という賢明さを求められている。それも甘受するというなら別だけれども。
気になる科学 (調べて、悩んで、考える)
元村有希子 (著)
毎日新聞社 (2012/12/21)
P204
塩入 [言葉]
そこは標高一メートルに満たない土地。しかも地名は「塩入(しおいり)だ。
江戸時代、津波高波の被害を塩入とよんだ。津波被害が繰り返される場所が、塩入もしくは塩入田とよばれているのを何カ所もみた。塩入という地名のついた場所に防災庁舎を建ててはいけなかったのである。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P185
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
- 作者: 磯田 道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
扉を開けおきたい衝動 [ものの見方、考え方]
いずれの場合も、かならずしも意識しているとはかぎらないが、わたしたちはこうした選択肢を残すためにほかの何かを手放している。
たとえば、必要以上に高性能のコンピュータや、無駄な保証のついたステレオを大金をはたいて買うはめになる。
子どもの習いごとの場合、こどもにさまざまな活動を少しずつでも経験させようとするあまり、子どもと自分の時間を―そして、子どもがひとつのことにほんとうに秀でる機会を―手放している。
予想どおりに不合理[増補版]
ダン アリエリー (著), Dan Ariely (著), 熊谷 淳子 (翻訳)
早川書房; 増補版版 (2010/10/22)
P247
予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」 増補版
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/10/22
- メディア: ペーパーバック
己高閣
個としての存在と社会的存在 [社会]
ヨーロッパ近代において明確にそのすがたをあらわす自由で自立した個人は、その内面からすれば、「われ思う、ゆえにわれあり」というかたちで自分の思考と存在を確信する個人であり、社会にたいしては、「人は、自由かつ権利において平等ものとして出生し、かつ生存する」というかたちでおのれの人権を主張する個人である。
こういう個人は、社会生活において、なによりもまず自分の存在や価値をつらぬこうとする。どんな関係のなかでも、自分を失わないことがなにより大切なことなのだ。そういう個人は、他人にもその存在と価値をつらぬいてほしいと願うし、自分を失わないでほしいと願う。
近代社会を個人主義の社会だというとき、いう意味は、そのようにおのれをつらぬく個人を基本的な単位とする社会だということである。
そういう個は、容易に和やまとまりを作りだしはしない。外からくる力にたいしては、つねに警戒と抵抗のかまえをくずさず、内面の確信にもとづくのでないかぎり、これを受けいれようとはしない。歴史的に見て、神や王権の支配と対決するかたちで個の自由や自立が主張された経緯からしても、個が容易に統合へとむかわないのは当然だったのだ。
新しいヘーゲル
長谷川 宏(著)
講談社 (1997/5/20)
P24
叱ってやるのは親の慈悲 [教育]
涙がたまって木目がぼやけると、きまっていわれた言葉も忘れない。
「おまえ、なんで泣くんだ。正直にいってごらん。足がしびれたか、それとも腹がたっているのか?」そして
「ものを教えてもらっている最中に、むやみと泣くものじゃない」という。なつかしい。
あの頃もその後も、私は無限に父に叱られるうまれつきなんだ、というようにおもっていたが、なにが無限なものか。
三十年四十年はまたたく間だった、いまはもう、この机の横に呼びつけ、叱ってくれる声はない。
叱られなくなって、叱られる仕合せをおもう。
叱られない環境などちっともいいものではない、私にとっては。
叱ってやるのは親の慈悲、とは俺はいいたくないが、おまえたちを叱るのは実は骨が折れるんだ、といわれてさすがの弟も困った表情をしたのなども昨日のようである。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
P218
三徳山三仏寺文殊堂1
寡頭政治の台頭 [社会]
米国では誰もが政治プロセスに公平に参加できるとされているが、実際には億万長者には有利でも持たざるものには不利になっている。
金持ちはロビイストを雇うことができるし、政策を彼らの有利にするようなレポートをシンクタンクに出資して書かせることもできる。
また、(コーク兄弟とウォーカー知事のように)政治家を買収することもできる。
紙の上では一人一票だが、このような現実をみると、民主主義というよりも一握りの富裕者に支配される寡頭政治が行なわれている、とクルーグマンは言う。
~中略~
民主主義の本質と言われる「人民の人民による人民のための政治」というリンカーンのことばをもじり、経済学者ジョセフ・スティグリッツはこれを「一%の一%による一%のための政治」と言う。
米国に広がる民主主義の崩壊と寡頭政治の台頭
金克美 (ライター、翻訳家=TUP)
世界 2011年 06月号
岩波書店; 月刊版 (2011/5/7)
P28
善光寺本堂
希望を持ったまま保留 [処世]
玄侑 ユングが言っていることですごいなと思うのは、一つのことが起こりますよね。起こったことそれ自体では縁起がいいか悪いかわからない。
たとえばここにお金が落ちてたとしますよね。縁起がいいって思って拾ったら、テーブルの角に頭をぶつけて脳震盪で入院した。
やれやれ、まいったと思ったら、入院した病院の看護婦さんがきれいな人だった。それで、結婚したら、なんだかしりに敷かれちゃって、こんなはずじゃなかった、と(笑)。
二転三転するわけですよね。すると、お金が落ちてること自体が、いいことかどうかなんて、わからないわけですよ。
だから希望を持ったまま判断を保留しなさいとユングは言うわけですね。
最初に起こった出来事を保留にしないで悪い方向に考えると、それが次に起こることに影響する。
この「希望を持ったまま保留」っていうのがすばらしいと思いますね。「希望の原型」って言いますけど。
養老 孟司 (著) 玄侑 宗久 (著)
脳と魂
筑摩書房 (2007/05)
P272
藩都と県名 [雑学]
明治政府がこんにちの都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属し、どの土地が佐幕もしくは日和見であったかということを後世にわかるように烙印を押した。
その藩都(県庁所在地)の名称がそのまま県名になっている県が、官軍側である。
薩摩藩―鹿児島市が鹿児島県。
長州藩―山口市が山口県
土佐藩―高知市が高知県
肥前佐賀藩―佐賀市が佐賀県。
の四県がその代表的なものである。
戊辰戦争の段階であわただしく官軍について大藩の所在地もこれに準じている。
筑前福岡藩が、福岡城下の名をとって福岡県になり、芸州広島藩、備前岡山藩、越前福井藩、秋田藩の場合もおなじである。
これに対し、加賀百万石は日和見藩だったために金沢が城下であるのに金沢県とはならず、石川という県内の小さな地名をさがし出してこれを県名とした。
~中略~
官軍の主力はいわゆる薩長土肥だが、その肥の肥前佐賀藩などはあれほどの小地域で立派に一県なのである。
本来いまの長崎県内に入るはずだったのが、肥前出身の高官たちが、「わが藩の版図を県として残すべきだ」として佐賀藩ができた。
権力のおかしさのひとつは、それがひどく感情的であるということである。
―南部藩は賊軍であった。
という好悪の感情でもって、小南部八戸の地をうむをいわせず青森県へほうりこんでしまったのである。
街道をゆく (3)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P90
自立した患者 [医療]
リサのケースでは、二番目の整形外科医は最近の医療文化の中で特に重視されている患者の自律性に影響を受け過ぎているようだ。
リサは医師の言葉を引用して言った。「「やってもいいし、待ってもいい」と言われたんです。全然助けになりませんでした。だって「全てあなた次第ですよ」と言い続けるだけなんですから」
ミシガン大学のカール・シュナイダーが明らかにしたように、医師がガイド役としての役を放棄して選択の重荷を全て患者の肩にのせてしまうという、自立性の原則の行き過ぎともいえるケースもみられる。
リサの得たセカンドオピニオン、「やりたいようにやりなさい」はこれにあてはまるだろう。
アリゾナ大学のコノリーは患者が決断時に自立性を発揮すればするほど、将来の後悔のリスクは高くなることに言及している。つまり、もしも結果が悪ければ、自分自身を責める羽目になるかもしれない、ということだ。
もちろん、これは微妙なバランスの問題ではある。というのは、悪い結果が起ったとき、自分が十分自立的に動かなかったからだ、と後悔する可能性もあるからだ。
決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P112
百姓 [言葉]
古代においては、「百姓」と書いて「おおみたから」あるいは「たみ」と訓がつけられていました。逆に言えば、その訓にあてはまる言葉として「百姓」が用いられたのです。~中略~ つまり、「官人」「郡司」は官職・位階を持っている人ですが、それと併記して官職・位階を持っていない普通の人を指す言葉として「百姓」が用いられているのです。
その他、「郡司・百姓・不善輩」という面白い用例もあります。
「不善輩」とは、殺人や強盗を行ったり、博奕・双六に興じている人たちを指す言葉ですが、官職を持たないだけでなく、そういった「遊手浮食の徒」ともいわれたような人たちとは違う、普通の人々が「百姓」だったのです。
そもそも「百姓」の「百」には「非常に多くの」「あらゆる」という意味があります。また、「姓」は姓氏、われわれの名字とは多少違いますが、血縁集団の名前ということになります。
そして、姓には職能が結びついていることもあるのです。従って、字義通りにとらえれば「百姓」は「あらゆる姓を持つ人々」あるいは「あらゆる職業の人々」が本来の意味であり、一般の普通の人々を指す言葉なのです。そこには先ほども述べたように、「農民」の意味はまったく含まれていません。
歴史を考えるヒント
網野 善彦(著)
新潮社 (2001/01)
P68
医学 [学問]
もし、人の命を救う合理的な技術だけを議論するんだったら、これは僕は学問ではないし、ましてや科学ではないと思いますね。
単に技術屋さんですよね。そういう職種を医師と呼ぶのであれば、もはや大学で育てる必要はないですね。
運転免許証の教習所と同じでいいですよね。
医学というのはそうじゃないと思うんです。
太田さん流に言うとそんなことを一生懸命議論しても答えがないじゃないかというかもしれないけれども、人にとって人の命っていうのはどういうもので、われわれがそれをどうとらえていかなければいけないかということを真剣に考えている場面が、僕は医学だと信じます。
遠藤秀紀
NHK「爆笑問題のニッポンの教養」制作班 (著), 主婦と生活社ライフ・プラス編集部 (編集)
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
主婦と生活社 (2011/1/7)
P113
名門大学の「教養」 東京大学・慶應義塾大学・京都大学・早稲田大学・東京藝術大学 (NHK爆問学問)
- 出版社/メーカー: 主婦と生活社
- 発売日: 2011/01/07
- メディア: 単行本
地蔵埼4
大事を成す [人生]
大事を成すは、大義と細謀と、兼ね行はれざれば遂ぐること能(あた)はず。
(「続資治通鑑網目講説」)
山田方谷のことば―素読用
山田方谷に学ぶ会 (編集)
登龍館 (2007/07)
P39
松 [雑学]
松の翠(みどり)は大和絵や桃山の障壁画の画題だっただけでなく、「古今」「新古今」で定着した日本の名勝には、かならずといっていいほど松がある。日本三景といわれる天ノ橋立、松島、厳島も、松がなければ成立しない。
私は戦時中、中国の東北地方にいたが、敗戦の前に朝鮮半島を南下して釜山まできたとき、いままでの大陸風の淡いみどりが、この半島の南端の海岸町で急に濃くなったことに驚いた。
気づいてみると、釜山の西郊に赤松の林があり、この色彩が、溜め息が出るほどに佳かった。
佳いというのは美的な意味でなく、理屈もなにもなしに、松でおおわれた故郷がもう一衣帯水のむこうに横たわっている、という感動だった。
室町期の倭寇どもも、東シナ海をもどってきて、はるか沖合に根拠地の松浦半島の松がほのかに見えはじめたとき、おそらくこういう感動をもったのではないか。
われわれの故郷についてのイメージの底には、かならず松が作る景色があるように思える。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P174
考古学者たちはサインを出していた [社会]
いま思えば、考古学者たちは震災前からサインを出していた。仙台平野に沓形(くつかた)遺跡という約二〇〇〇年前の弥生時代の遺跡がある。
震災の五年前から本格的に発掘され、当時は二キロ(現在は四キロ)内陸のこの遺跡から津波の砂の層が発見されていた。砂は分厚いところで五センチを超えていた。
集落は津波で徹底的に破壊され、再び人が住みはじめたのは津波から四〇〇年後という衝撃的な事実もわかっていた。
つまり、仙台平野は約二〇〇〇年前、約一一〇〇年前(貞観津波)、四〇〇年前(慶長三陸津波)、そして二〇一一年(東日本大震災の津波)と、はっきりしているだけで、二〇〇〇年間に四回もの大津波に襲われている。
いずれも内陸四キロ前後まで浸水。五〇〇年前後の周期性をもったきわめて反復性の高い自然現象であったことがわかる。
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2014/11/21)
P191
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
- 作者: 磯田 道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/11/21
- メディア: 新書
悩みの大きさが迫力を生む [哲学]
表現のおもしろさや迫力は、いつもそうせざるを得ない人によって創られるのであって、
さらに言うなら、そうした「悩み」のない人に迫力のある芸術は創れない。
南 伸坊
心理療法個人授業
河合 隼雄 (著), 南 伸坊 (著)
新潮社 (2004/08)
P160
薬師如来の本願 [宗教]
飛鳥(あすか)白鳳天平のわが仏教の黎明(れいめい)期には薬師信仰は極めて盛んであった。いな薬師信仰はどんな時代でも病のある限りは不滅であろう。すでに法隆寺の飛鳥の薬師如来像、また薬師寺の白鳳の薬師如来像について述べたが、上古より盛んなこの信仰の本質について考えてみたい。~中略~
薬師とは詳しくいえば薬師瑠璃(るり)光如来と云い、東方浄瑠璃世界の教主である。このみ仏は自ら十二の大願を起こしたことが薬師如来本願経に語られてある。 ~中略~
これによって明らかなように、我々の謂(い)う病気恢復は十二願の一部にすぎず、他にも諸々の現実的救済を願としているが、畢竟(ひっきょう)本願のめざすところは、第四願(住人注;一切衆生をして大乗に安立せしむるの願。))に要約されていると云ってよかろう。
また病を必ずしも肉体的に限定せず、心の迷いや精神の病をふくめてすべてを根源から安穏ならしめんと望んでいるのである。 ~中略~
かかる薬師信仰本来の綜合(そうごう)的面目は、法隆寺の薬師如来、薬師寺金堂の本尊、あるいは香薬師を拝して充分偲(しの)ばるるであろう。利益の一面のみを仏体にあらわに表現するのは後世の堕落ではなかろうか。これがさらに転落すれば邪教的迷信ともなろう。
推古(すいこ)天皇ならびに上宮太子、あるいは天武(てんむ)天皇、聖武天皇、光明皇后の信仰を拝しても明らかなように、決して御一身のみの利益と平安をめざされたものでなく、すべては国民の和と救いのために捧(ささ)げられたところであった。わが大乗の教(おしえ)をはじめて具現されたのは天皇にあらせあれた。天皇信仰という独自のものがわが史上には存在していたのである。
とくに上宮太子が病者貧民の身上を思うて設けた四天王寺四個院のごとき、また光明皇后の悲田施薬院乃至(ないし)施浴の風呂の如(ごと)き、すべて薬師如来の本願を思わする非心の然らしめたところであった。かかる信仰あってはじめて無双の仏体も造顕されたことは既に述べたとおりである。
―昭和十七年冬―
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P224
各人の時間 [哲学]
春日 「病んだ家族、散乱した室内」(医学書院)では、「家の中では、外とは違う特殊な時間が流れている」ということを書きました。
訪問診療っていうのは要するに、扉を開くことで、そこに外部の時間を持ち込んで、それにシンクロさせることなんだ、それが治療なんだという話を書いたんです。
内田(住人注:内田 樹) それ、「死と身体」で僕が書いた時間の話とまったく同じ結論ですね。
ラカンが同じようなことを言っています。要するに、精神病の患者というのは時計が止まっているのであり、その時計を動かしてあげることが治療であるということを言っている。
「死と身体」ではそこに、レヴィ=ストロース(Claude Levi=Strauss)の話を持ってきて、「時計が動くということは交換関係のなかに入っていくことだ」って書きました。
春日 どういうことですか?
内田 「交換」って、時間概念がないとできないんですよ。こちらから「あげて」、向こうから「くる」。その間にタイムラグがあってはじめて交換になる。無時間モデルでは絶対に交換はできないんです。
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
春日 武彦 (著)
医学書院 (2007/07))
P187
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
- 作者: 春日 武彦
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
マグレ当たりにて儲けし金は、他人の金を預かつたと同じことなり [人生]
一、時間は金、忘れてはならぬ。
二、顔をよくするより金を儲けよ、金儲かり家富まば自然と顔もよくなる。
三、何処までも銭のない顔をせよ、銭のある顔をせば贅費多し、仮令( たとえ)銭なき顔をして人に笑はるゝことあるも、後日には誉められる。
四、派手にすべからず出来るだけ質素にせよ、衣服は垢の付かぬ木綿服にて充分なり。
五、身代を減らさぬ考をするには平素交際する人を選べ。
六、一銭の金も骨折って儲けよ、楽して儲けた金は落し易し。
七、無益の道具類を買ふな、買へば他人に見せたくなり、自然と自分の職業を怠り、時間を費す可し、慎まざる可からず。
八、身代を減らす者は大抵、口先はよくて尻結びの無い、先の見込の付かぬ者なり。
九、弘く人に会して多く知恵を得よ。
十、馬鹿になれば悧口、悧口になれば又た馬鹿、馬鹿になって物事を尋ね、馬鹿になって商売せよ。
十一、出来るだけ人の下風にたちで、頭を下げる者は必ず勝を占む。
十二、人と商売上の話をなすも己れの見込みとする、所謂「キゝメ」一つは決して人に洩らす可からず。
十三、二年先の見留を付くべし、マグレ当たりにて儲けし金は、他人の金を預かつたと同じことなり。
十四、商取引をなすには先方の掛引を見分けるが肝腎なり、之が出来ぬものは商売をするな。
十五、身代を大きくしたいならば、丁稚下女の為る事まで気を付けて差図せよ、小さい事に目を付けぬ者は到底大事は出来ぬ。
前田利家 [雑学]
戦国末期、北陸路が織田勢力のものになったとき、信長は柴田勝家を北ノ庄城(福井市)に置き、北陸道の触頭(ふれがしら)とした。
いまの武生の武生市役所のあたりにあったらしい府中の城主には前田利家が命ぜられた。命令系統としては柴田勝家の指図をうけることになる。
柴田勝家が賤ヶ岳で秀吉と決戦したとき、利家は系列上やむなく勝家に属して出陣したが、古くからの友人である秀吉と戦う気がせず、決戦に参加せずに府中にひきあげたということになっている。
前田利家というひとはよほど人柄のいい人物だったらしく、そういう行動をとっていながら勝家に恨まれなかった。
勝家が賤ヶ岳で敗北して北ノ庄へ退却すべく北行する途中、この府中城に立ち寄って、湯漬けを乞ういているのである。
利家はそれをこの敗将のためにふるまった。敗将はさらに塩引の鮭を所望した。
利家はそれをふるまい、二人はよほど長時間昔ばなしをした。勝家が去ったあと、ほどなく追跡中の秀吉がこの府中城に立ち寄って、やはり湯漬を利家に所望している。
街道をゆく (4)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/11)
P256
「他力」こそ「自力」の母である。 [宗教]
泣きたい時には泣け [人生]
自然と向き合う [社会]
危険なバブルの見分け方 [ものの見方、考え方]
教育の受益者は本人ではなく、社会全体 [教育]
かの国(住人注;アメリカ)は基本的に「自助の精神」を重んじる国です。アメリカ社会における理想的な人格とは「self-made mann」です。
他人に依存せず、誰からも支援されず、独力で地位も、財産も、威信もすべて築き上げた人間を敬する伝統があるわけです。「開拓者の国」ですから。 ですから、この国では「弱者の支援」というアイディアがほんとうの意味で根づいたことはないのかも知れません。
例えば、アメリカ教育史上の大問題は、公教育の導入に多くの市民が反対したことです。
公教育の理念自体はコンドルやルソーなど、一八世紀のフランスでできたものですが、行政的に公教育が導入されたのはアメリカが最初です。
アメリカは公教育の先進国なのです。ただ、この公教育制度に対して、つまり「税金を使ってすべての子どもたちに初等中等教育を施す」という仕組みに猛然と反対した市民たちがいた。
彼らは教育の受益者は「教育を受ける本人」であると考えた。子どもたちが学校に通い、そこでしかるべき教育を受けて、有用な知識や情報や技術を身につけて、資格や免許をとり、社会的上昇を果たすとするならば、教育の受益者は子どもたち自身だということになる。
だとすれば「受益者負担」の原則を適用して、教育経費は受益者たる子どもたち自身が、あるいはその扶養者である親が負担すべきではないのか、そこにわれわれの納めた税金を投じるのはアンフェアである、そう言って反対する人たちが出現してきた。これは反論のむずかしいロジックでした。彼らはたしかに刻苦勉励して税金が払えるような身の上になった。だから、自分の子どもたちにそれなりの教育を与えることができるようになった。
けれども、自分ほども努力していないし、才能もない貧乏人たちの子弟のためになぜ教育機会を提供しなければならないのか、その理由がわからない。彼らが教育を受けて、それなりの社会的能力を獲得すれば、自分の子どもたちとポストをめぐって競合することにもなりかねない。 なぜ、自分の懐を痛めてまで他人の子どもに自分の子どもに自分の子どもを蹴落とすチャンスを提供しなければならないのか。
教育の受益者は教育を受ける本人である。それなら、教育を受けたいものはまず働いて、金を貯めて、それを自己投資すべきである。~中略~
それでも公教育が実現したのは、公教育論者たちが納税者たちを「短期的には損だが、長期的にはお得」という利益誘導のロジックを用いて説得したからです。~中略~ どう転んでも、こどもたちに教育を施したほうが長期的に見れば「金になる」んです。そういうふうに説得した。
でも、僕は今でも、こういう経済合理性のロジックで公教育の導入に成功したという歴史的事実そのものがアメリカの根本にある種の「ねじれ」を呼び込んだのではないかと思います。
「学校教育」というのは、それで誰かが「金を儲ける」ことができるから有用であるというような理屈で基礎づけてはならないものだからです。
学校教育の受益者は教育を受ける子どもたちではありません。誤解の多いことなので、繰り返し強調しますが、学校教育の受益者は本人ではなく、社会全体なのです。
われわれが学校教育を行う理由は、一言で言えば、われわれ共同体を維持するためです。集団として生き残るためです。次代の共同体を支えることのできる成熟した市民を育成するためです。自余のことは副次的なことにすぎません。
最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P316
自己決定権と自己責任 [日本(人)]
養老 医者の場合は、告知した方が楽に決まってるんですよ、当然。医療訴訟が起こりにくくなるし、いわゆるインフォームドコンセントですから治療がやりやすい。
あなたはガンですからこうこうこういうことをするんですよって言えるでしょう。それ、以前はどうやっていたかっていうと、有名な話があるんです。
旦那さんがガンで、告知はしていない。それでその患者さんと奥さんを前にして、放射線科の医者が、ガンだって言えねえから、しょうがない、苦し紛れに適当な理由つけて、放射線の治療をしますとインフォームしたわけです。
そしたら、奥さんのほうが「先生、放射線治療をするってことは、主人は本当はガンじゃないですか」って。
で、患者である旦那さんのほうが、「お前、先生に向かってそんなこと言うもんじゃない」。
これが古き良き日本だったんですよ。それが通じない世界になったでしょう。通じない振りをするというか。
これ、非常に難しい問題になっていますよ。先生にお任せしますという態度には裏表ありまして、すごんでる場合も有り得るわけです。
うまくいかなかったらただじゃおかねえぞっていう。極端に言えばね。
養老 孟司 (著) 玄侑 宗久 (著)
脳と魂
筑摩書房 (2007/05)
P185