日米戦争は真珠湾攻撃以前に始まっていた [国際社会]
実はアメリカの中国への援助は援蒋ルートに止まりません。真珠湾攻撃の一年前、一九四〇年十二月、ルーズベルト大統領、財務、国務、陸軍、海軍の四長官が集まり、中国南東部の基地から長距離爆撃機B17を用い、日本本土の工業地帯を爆撃する計画を相談しました。
この計画はさらに米統合参謀本部で詰められ、「JB三五五」という作戦計画となり、翌一九四一年七月二十三日に大統領の許可を得ました。
~中略~
フライング・タイガーズの初めての日本軍攻撃は航空機到着が遅れたため真珠湾攻撃の二週間ほど後になりましたが、問題は、ルーズベルト大統領が、順当に進めば一九四一年九月の、焼夷弾による東京、大阪への爆撃を許可したということです。
日中が宣戦布告をしていないのを利用してアメリカが一方的かつ大々的に中国への無償の軍事物質援助(武器貸与法)をしていたことを考えても、日米戦争は実質的に十二月の真珠湾攻撃以前に、アメリカの直接攻撃すれすれの間接攻撃により既に始まっていたのです。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P195
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