インド [国際社会]
先に言ったごとく、インド人は想像力の豊富な民族である。数字で現わすことなども、とうてい中国や日本などの真似ができないものがある。
普通ならば、非常に大きな数であったと言うべきところ、すなわち漠然とした概念だけしか得られぬところを、インド人はちゃんとそれを細かに記述して行く。
~中略~
かくのごとく言葉で表現のできないことを言い表そうとするときには、想像力に訴えてやるより他はなかろうと、私は思う。
これがインド流の禅の意味の表し方でないかと思う。
中国になるとよほど様子が変わって来る。中国人というものはきわめて実行的な人間である。
老荘の書物などを読んでみても、やはり天下国家というものを口にしている、老子のような超越的な人でも天下国家を論じている。どうしても中国人はこの世の係累を離れることのできない人間らしい。
これが中国人の理想に現れる。すなわち福禄寿ということになる。
禅とは何か
鈴木 大拙
角川書店; 改訂版 (1999/03)
P97
市場金利は利潤を反映する [国際社会]
それゆえわれわれは、どんな国においても、通常の市場利子率が変動するのをみると、資本の通常利潤ともに変動しているにちがいない、と確信してよい。
すなわち、前者が下がると後者も下がり、前者が上がると後者も上がるにちがいない、と確信してよいのである。
そういうわけで、利子の推移によって、われわれは利潤の推移についてある判断をつくりあげることが可能になるのである。
国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P149
アルメニア人 [国際社会]
アルメニアとトルコというと、一九一五年から一七年にかけて、いまのトルコがあるアナトリア半島からシリアやギリシャに追放されたときの悲劇が今も政治問題となっています。
そのころに「大虐殺」があったとアルメニア人側は主張しています。「大虐殺」を世界に認めさせようと強く主張しているのは、コーカサス地方にある小国のアルメニア共和国ではなく、全世界に散らばったアルメニア人たちです。
アメリカやフランスには、この第一次世界大戦のときの悲劇から逃れた多くのアルメニア人がいまも住んでいます。
彼らから見れば、トルコは憎んでも憎み切れない「虐殺」の加害者の末裔ということになります。
~中略~
この問題、おもに第一次大戦の最中の事件(十九世紀の後半からアルメニア人が犠牲となる事件は多発)なのですが、その当時、トルコを統治していたのは、形式上はオスマン帝国政府でした。しかし、もう崩壊寸前(千九百二十二年に滅びた後、トルコ共和国が一九二三年に成立)でしたので、実際には、エンヴェル・パシャをはじめとする軍人が実権を握って、第一次大戦にドイツ側について参戦していました。
彼らが、ロシアと共謀してオスマン帝国の寿命を縮めようとするアルメニア人たちの策謀を封じることを理由に、彼らを一斉にシリア砂漠に追放しました。これは間違いなく事実です。
~中略~
しかし、トルコ共和国の人たちからみると、前身のオスマン帝国を侵略し、支配をたくらんでいたヨーロッパ諸国が、この地域の民族のあいだにくさびを打ち込み、共存の歴史を破壊して憎しみに変えてしまったことが原因なのです。
~中略~
そして、フランスやアメリカの議会が「虐殺」を認定するということは、この問題がいまだにフランスやアメリカで政治的な意味をもっていることを示しています。
政治的意味とは、アルメニア人たちの経済的、政治的支持を集めることです。実際、アメリカではカルフォルニア州でアルメニア系の団体が力を持っていますので、大統領選挙など、大きな政治的イベントでは、必ず、アルメニア問題が持ち出されます。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P199
「スンニ派」と「シーア派」 [国際社会]
池上 ここでまず基本的な知識を整理します。イスラム教徒は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、予言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。
ムハンマドの後継者は「カリフ」と呼ばれ、予言者の代理人です。
このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきという信者とで意見が分かれたのですが、当初の三代は、血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があった方の後継者が続きました。
四代目でようやくアリーという、ムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子どもは、ムハンマドの血を引いていることになります。
アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
一方、血統にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「慣習(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。
全世界のイスラム教信者の八五パーセントをスンニ派が占め、シーア派は一五パーセント。スンニ派の大国がサウジアラビア、シーア派の代表的な国がイランです。
新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P117
シリアのアサド政権 [国際社会]
シリアの場合ですが、「社会主義」「アラブ」を名乗るバース党が、どうして今まで続いてきたかというと、結局のところ、社会主義でもアラブ民族主義でもなく、単にアサド家とその取り巻きによる独裁恐怖政治で乗り切ってきたからです。
ただし、アサド政権は、前にも書いたように大変賢明ですから、根っからの商売人であるシリアの人たちの経済活動だけは邪魔しませんでした。いくらでも好きなように商売させて、上りの一部を上納金として政府が巻き上げればよかったのです。ですから、アルメニア人であろうと、キリスト教徒のアラブ人だろうと、クルド人だろうと、そして多数を占めるスンナ派のムスリムだろうと、商売の自由だけはかなり保障されていました。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P111
http://www.kurenavi.jp/html/m000110.html
朝鮮動乱 [国際社会]
一九五〇年六月二十五日、北方から三八度線を突破して南下した朝鮮軍はわずか三日でソウルを占領し、一週間で韓国軍主力を壊滅し、さらに、一カ月余で国連軍を釜山まで追いつめた。
その後、米軍を主力とする国連軍が仁川に上陸し、ソウルを回復して平壌まで攻めこみ、さらに北進したところ、この年の十月末、にわかに中国義勇軍が朝鮮軍に参加することによって戦勢が再逆転し、国連軍はふたたび潰走して一度は奪還したソウルを再放棄し、南方に退却した。
事実上の米中戦争であったろう。
街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P197
あたりまえだけど、中国は日本と違う [国際社会]
中国2000年の環境破壊 [国際社会]
2000年(平成12年)春、砂塵が北京を襲った。その北京市郊外を視察した朱首相は、かつての草原地帯が砂漠に変貌しているのを目の当たりにした。その光景に衝撃を受け、つい口から北京からの遷都という言葉が出てしまった。それほど中国の砂漠化は深刻な事態となっている。
朱首相が驚愕したのは2000年であり、それ以降もさらに激しく黄砂は発生し続けている。被害は日本、韓国でも顕在化してきた。もう黄砂は春の風物詩などと言ってられなくなった。
現在砂漠となっている黄河流域は、かつて森林の宝庫であった。その証拠が残されている。
1万2000㎞の万里の長城と8000体の人形が埋蔵されている兵馬俑坑である。
紀元前、秦の始皇帝が建設した万里の長城のレンガと、皇帝陵の陶製の人形を焼いた木材量は膨大なものであった。あまりの膨大さに圧倒され、試算する気にもならない。この二つの世界遺産が制作されたという事実が、黄河流域は大変豊かな森林地帯であったことの証拠である。
燃料のための森林伐採による砂漠化は少なくとも2000年以上の年季が入っている。
さらに近代になってからそれが一気に加速された。
日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 (著)
PHP研究所 (2013/10/3)
P377
西洋とキリスト教 [国際社会]
大澤 キリスト教は成立後、いろんな形で社会に浸透し、人びとに影響を与えながら、言ってみれば「西洋」をつくっていきました。しばしば言われる「グローバリゼーション」も含めて、近代化というのは、見方によっては地球的・人類的な規模の西洋化みたいなところがあります。
ですから、西洋世界というものがいかにつくられたかを知ることは、現代を知る上でも最も重要なカギになる。
その西洋世界の根幹にキリスト教があったのは明らかです。
ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P242
フィンランド [国際社会]
スカンジナビア半島の東の端、スウェーデンやノルウェーよりさらに奥にフィンランドはある。~中略~
世界地図を広げて見ればいい。ヨーロッパで東の端ならば、地理的に日本に一番近い国だということは容易にわかる。しかも、日本から首都ヘルシンキへは直行便がある。最速八時間台で飛ぶ。なんとアメリカ西海岸よりも近いではないか。
近いのは地理だけではない。言語も近い。同じウラルアルタイ語族に属するためか、フィンランド語を聞いていると、ところどころ懐かしい音が聞こえてくる。
~中略~
フィンランドにはおだやかな優しい自然が広がっている。急峻な山や渓谷は少ない。かわりに全土を覆っているのは森と湖。国土の六九パーセントが森林。湖の数は約十七万八〇〇〇。彼らは自らの国をスオミ(湖の国)と呼ぶ。
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ
加藤 則芳
(著)
平凡社 (2001/01)
P124
自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ (平凡社新おとな文庫)
- 作者: 加藤 則芳
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: 単行本
均衡こそ自由の基礎 [国際社会]
マッキンダー(住人注;H・J・マッキンダー)は、これら古い文明の歴史を持つモンスーン地帯の諸国が、やがてその生産力を開発して、北大西洋圏やハートランド(住人注;ユーラシア大陸の心臓部)と均衡状態がたもてるようになれば、はじめてそこに自由と幸福を基調にした地球上の社会が実現されるだろうと予言して、彼の論文を結んでいる。
均衡こそ自由の基礎だ、というのが彼の生涯の哲学だった。
地政学入門―外交戦略の政治学
曽村 保信 (著)
中央公論社 (1984/01)
P83
ライバルは海外の学生 [国際社会]
最近では、日本の学生ではなく、中国や台湾、韓国、シンガポールなどアジア圏の優秀な学生を採用する日本企業が続々と出てきている。
パナソニックへと車名を変え、グローバル企業として躍進を図る松下電器産業は、2010年度採用の8割が外国人になったと発表した。
日本を代表する会社のひとつであるパナソニックがグローバル採用に踏み切ったこともあり、多くの企業がそれに追随した。
リクルートをはじめとする人材ビジネス企業も海外の優秀な学生を採用するセミナーを企画するなど、日本の学生はすでに海外のの学生とも職を奪い合う状況となっているのである。
僕は君たちに武器を配りたい
瀧本 哲史 (著)
講談社 (2011/9/22)
P3
テュルク系民族 [国際社会]
池上 地理的に見て見ウイグルの背後には、イスラム世界が延々と広がっています。ましてトルコ系です。
周囲のウズベキスタンやトルクメニスタンなど、「~スタン」というのは、みんなトルコ系のイスラム教徒の国です。そのネットワークからいろんな情報も入ってくるとなると、これは、制圧するといっても容易なことではありません。
佐藤 まさにウイグルに関しては、「東トルキスタン」という概念で見たほうがいいですね。
池上 そうです。中国の西方奥地にある「新疆ウイグル自治区」というふうに日本人は見がちですが、トルコの側から見ると、ウイグルは一番東のはずれです。「東トルキスタン」とは、そういう意味合いをもっています。
佐藤 そして、ウイグルからトルコまで広がる「チュルク・ベルト」があり、中央アジアが「西トルキスタン」と言う概念で捉えることになる。
新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方
池上 彰(著), 佐藤 優(著)
文藝春秋 (2014/11/20)
P202
敵国外患なき者は、国恒に亡ぶ [国際社会]
「貞観十五年、太宗、侍臣に謂(い)ひて曰く、天下を守ることを難(がた)きや易(やす)きや、と」(君道第一・第五章)。
これに対して魏徴は「甚だ難し」と答えた。
太宗がさらに、「賢者・能者に権限を委譲して政務を行なわせ、部下の厳しい忠告を聞きいれればよいのではないか」というと、魏徴は次のようにいった。
「昔からの帝王を見ますと、困難な時、危機の時にには賢者を任用し、部下の忠告も受けいれるものです。しかし安楽な状態になりますと、必ず「寛怠を欲す」すなわち、気がゆるんで楽をしたいと思うものです。
安楽な状態に依存してこの「寛怠を欲す」になりますと、直言がうるさくなりますので、臣下もついつい恐れて何もいわなくなります。そうなると、日に月に徐々にすべてが頽勢に向かっていきまして、ついに危亡に至ります。
聖人の「安きに居りて危きを思う」理由はまさにこのためです。安らかにして、しかも常に警戒する。これはじつに困難だといわざるを得ません」。
帝王学―「貞観政要」の読み方
山本 七平 (著)
日本経済新聞社 (2001/3/1)
P65
中国辛亥革命の策源地が実はカリフォルニアだった [国際社会]
義理と人情の国 トルコ [国際社会]
この本を書いているとき、トルコの東部ヴァンというところで、かなり大きな地震が発生し、六〇〇人あまりの犠牲者が出ました。
二〇一一年十月のことです。被災者を救援するために、日本のNPO法人「難民を助ける会」の人たちが現地に向かいました。
彼らが支援活動をして間もなく、十一月の初めに、イスラームの犠牲祭が始まりました。~中略~
犠牲祭というのは、その前の月に聖地メッカへの大巡礼を行なったことを神に感謝する祭りです。しかし、解体された犠牲の獣(おもに羊や牛)は、貧しい人びと、困難な状況にある人びとに分け与えられます。神に犠牲をささげるというかたちをとって、富の再分配をする行為なのです。
日本の援助隊の人たちも、厳しい寒さが迫るなか、牛を一頭買いして被災者に配って歩きました。その姿は、トルコの多くの新聞が報道し、遠方から来た日本人が、イスラーム的な道徳を理解していることに感謝の意を表していました。
それから数日後、再び大きな地震がヴァンを襲い、日本人ボランティアが泊まっていたホテルが一瞬のうちに倒壊してしまいました。
二人のうち、宮崎敦さんは十三時間後にがれきの下から救出され、懸命の手当てがなされましたが亡くなりました。もう一人、近内みゆきさんは、五時間半後に負傷しながらも救出されました。
それからの数日間にトルコの人びとと政府がとった行動は、イスラームとはどういうものかを示す典型的なものでした。~中略~
政党を問わず、あるいは政治的関心のない若者たちも含めて、被災者の救援のために日本からトルコに来て、一人が命を落とし、もう一人が負傷したことに対して、嵐のように、悲観と同情の声が沸き起ったのです。
被災者という、困難のなかにある人を助ける行為は、言うまでもなくイスラーム的な善行です。イスラームでは、弱者や貧しい人に対する手助けをことのほか重視します。神が人類に示した道徳的規範のなかでも、もっとも重要なものだからです。
旅人や病人、怪我人なども、もちろん、イスラーム的には弱者となります。しかし、手助けをするにあたって、その意図は、純粋に善意に立っていて見返りを求めるものであってはなりません。
二人は、地震の被災者のために遠く離れた日本から援助に来ていた「旅人」です。善き意志にもとづいて、遠く離れた地からやってきて、弱者救済に奔走したのちに、自らが被災したのです。
ムスリムとして、いたたまれない思いだったでしょう。トルコ中の人たちが、がれきの下から救出される二人の姿を食い入るように見ていました。トルコのテレビというテレビが、救出の状況を速報で伝え続けました。
不幸にして宮崎さんが亡くなられたと報じるや否や、トルコのツイッターには、「助けてあげられなくてごめんなさい」、「あなたがたは私たちに道を示してくださいました」、「トルコの人間は恥ずべきです。なぜ善意で救援に来た日本人を犠牲にしてしまったのでしょうか」という書き込みがあふれました。
~中略~
もちろん、トルコは伝統的に親日国ですから、国家として、たいへん丁寧に礼儀を尽くしたことは間違いありません。しかし、数日のあいだトルコ人たち、トルコ政府の対応をみていると、やはり、そういう「国家としての好意」ではなかったと私は思います。
国中のムスリムから、巨大なうねりのように心から犠牲になった方を追悼することばがあふれ、救助された方には最大限の助力をしなくては、という気持ちがあふれたのです。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P231
呉市 下浦刈 松濤園(しょうとうえん) http://www.kurenavi.jp/html/m000110.html
外交交渉 [国際社会]
一七 正道を踏み国を以て斃(たお)るるの精神無くば、外国交際は全(まつた)かる可からず。
彼の強大に委縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽蔑を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想
西郷 隆盛 (著), 猪飼 隆明 (翻訳)
角川学芸出版 (2007/04)
P65
西郷隆盛「南洲翁遺訓」―ビキナーズ日本の思想 (角川ソフィア文庫)
- 出版社/メーカー: 角川学芸出版
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 文庫
そもそも交渉というものは主張と譲歩を繰り返して妥協点を見出していくことである。説得を仕掛ける側も仕掛けられる側もフレキシブルな姿勢に徹していかなくては、交渉にはならないしお互いに受け入れられる内容に到達することはできない。
超説得力
山崎 武也 (著)
講談社 (2003/11)
P158
西ヨーロッパは河川交易で発展した [国際社会]
(1)ヨーロッパ文明の特色の一つは、アルプス以北では河川が最大の交通ネットワークをなしていることである。それらは四季を通じてほぼ同じ水量をたたえ、運河と同じ機能をもっているといっていい。
それゆえ西ヨーロッパに発生した市場経済は、主としてこのような河川交易を媒介に発展し、したがってまず河川の沿岸にそって技術と産業がつくりだされ、それがのちに内陸地方へと広がってゆく。
国富論 (1)
アダム・スミス (著), 大河内 一男 (翻訳)
中央公論新社 (1978/4/10)
P32
国家 [国際社会]
わたしたちは口を開けば民主主義の本義に基づいてなど民主主義をふりかざすが、民主主義そのものなど、どこの世界にもありゃしない。
存在するのは歴史的に強く条件づけられた各種の民主主義国家だけである。
~中略~
国家という基盤ないしはわく組みの中でしかわたしたちはなにも思考できないし、なんの行動もとりえない。
会田 雄次 (著)
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (講談社現代新書 293)
講談社 (1972/01)
P210
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (1972年) (講談社現代新書)
- 出版社/メーカー:
- メディア: 新書
P87
現代の主権国家では二つの側面が求められる。国内的には治安維持能力であり、対外的には条約遵守能力である。
~中略~
国家警察も国軍も、指揮する主体は国王である。絶対権力を志向する国王が実力を独占することにより、警察力を行使し、軍隊の力により排他的な国家主権を維持する。ここに連邦主権国家が成立したのである。
国王が暴力を独占することによって、国家としてのまとまりが保たれるようになるのである。
~中略~
国内法は強制法である。すべての特権階級を法に従わせるために必要な権力が、絶対王権に基づく警察力である。警察力により、国王の名の下に裁判を行なうことができる。いかなる者にも例外を認めず強制することで、国王による法が徹底される。こうして国王の主権が実体化していくのである。
では外国との諍(いさか)いはどのように解決するのか。すべての国が従う裁判所が存在しない世界では、決闘により決着をつける。
中世においては、しばしば「勝利は正義の発露である」との価値観で、決闘裁判が行われた。決闘とは、貴族にのみ認められた神聖な儀式である。
ウェストファリア体制は領邦主権国家にこの資格を認めた。すなわち、戦争である。
厳密な意味の戦争とは、宣戦布告で始まり講和条約で終了する法的状態のことである。これは双方の合意により開始され終結する。誰にも強制されない、合意法である。
P110
国際社会において何者の支配にも服さない主権国家であると証明する資格は、究極的には軍事力である。軍事力は外交力の源である。そして、軍事力の源は経済力である。
言わば、鉄と金と紙である。この三つ の総合力が国力であり、国として自立できる力のある者だけが国際社会で生きていける。これが国際法の適用される国際社会である。逆に、力のない者に文明の法は適応されないとするのが、ヨーロッパ人の決めた文明であった。
要するに、因縁をつけて、札束にモノを言わせ、最後に暴力で従わせる。綺麗に着飾っているが、結局は力によって世界を侵略し、「文明」をおしつけたのがヨーロッパ人である。そしていまも世界はその影響下にある。
日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)
- 作者: 倉山 満
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/04/03
- メディア: 文庫
同文同種に甘えるな [国際社会]
P123
たしかに日中両国は漢字を用いる。ただし、文化の伝統や環境、国民性、風土の違いなどによって、同じ一つの文字にたいして、両国民のもつイメージに、かなりのひらきが生じることもあるようだ。
もしそのひらきが、誰の眼にもはっきりみえるものであれば、かえって問題はすくないであろう。なぜなら、はじめからそう意識して、警戒するにちがいないから。
ところが、大本においては、だいたい同じ意味であり、その枝葉のあたりに、微妙なニュアンスの差があるだけだから、ことは面倒なのである。ふだんなら問題にならないので、誰もがみすごしてしまう。
たとえば、さきになげた「殺す」といことばは、「命を奪う」という意味では、両国民のあいだに誤解のおこる気づかいはない。
―AがBを殺した。
という文章は、日中両国の人は、同じ澄明度(ちょうめいど)で、まちがいなくとらえるだろう。しかしこれが、
―何某を殺せ!
というスローガンになると、すこし事情がちがってくる。
「殺」の字は、中国では意味をつよめるための接尾語としても用いられる。
おもに詩語であるが、愁(うれ)いの気持ちが異常につよいとき「愁殺す」という。
日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)
孤立するのは損 [国際社会]
明治維新以来、国際社会の優等生として振舞ってきた日本が昭和に入ってなぜ「孤独の帝国」となってしまったのか。
それは非西洋の国の中でだた一国だけいちはやく近代化に成功した日本が、日英同盟が一九二二年廃棄されて以来、頼るべき強力な友邦をもたなくなってしまったからです。
日本語は日本でしか話されていません。
英仏独露西中などの言葉がこの地球上の複数の国で話されているのと違い、日本はもともと兄弟国のない、孤独な文化、孤独な宗教の国で、本来的に友邦はないのです。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P141
ウェストファリア体制 [国際社会]
一六四八年一月三十日のスペイン・ネーデルランドの講和条約調印を皮切りに、最終的には十月二十四日の講和条約正式調印に至り、ようやく三十年に及ぶ欧州の大戦は終結した。
条約の主な内容は、以下の通りである。
~中略~
この条約によって成立した体制を、ウェストファリア体制と称する。世界中の国際法の教科書では、次の三つの要点が強調される。
一つは帝国から主権国家の独立、二つは対等な主権国家の並立、三つは教会権力と世俗権力の対等である。要するに、我々現代人が想像する主権国家は、ウェストファリア条約によって成立したのであり、広義にはいまだに世界はウェストファリア体制なのである。 ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の支配を脱しようと、オランダ、フランス、イングランドで始まった舌体王権による国家の統一とそれらの国々の並立は、ウェストファリア体制により、急速にヨーロッパ中に広まる。
現代の国家は、土地を基盤とした領域国家であるが、この時点のヨーロッパはまだまだ属地法ではなく国王を核とする属人法の世界であった。
国王はその領内で権力を行使し、すべての特権階級を従わせる。そして他の国王の介入を許さないことで、現在に至る主権国家の原型ができあがるのである。
日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P85
日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)
- 作者: 倉山 満
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/04/03
- メディア: 文庫
韓民族の思考方式 [国際社会]
それ以上に貴重であるのは、この国には仏国寺以外に古い仏教建築がほとんど遺っていないからである。
「たくさんあったが、みな清正(チョンジョン)(加藤清正)が焼いてしまった」
と、いつか在日朝鮮人の若い人にはげしく罵られて閉口したことがあるが、これも朝鮮人の思考方式といっていい。
怨念が強烈な観念になって事実認識というゆとりを押し流してしまう。
日本の進歩的論客の一部にそれがあり、両者ともどう考えても、ツングース人種の固有の精神体質としか言いようがない。~中略~
昭和三十年代のいつごろだったか、韓国から中学生の旅行団が日本にきたことがある。京都の太秦の広隆寺を参拝し、ヤスパース
が絶賛したという例の弥勒の半跏思惟像を見て、
―これも日本が韓国から略奪してきた。
と叫んで、大さわぎしたという新聞記事を読み、ぼう然とした思いをしたことがある。
日本の新聞記事はこれについて韓国の中学生に対してごくさらりとした好意的な書き方で書かれていたような気がするが、私のぼう然というのは中学生を騒がしめている一個の観念である。
反日教育がそれを作りあげたのにちがいないが、反日教育の必要は私には痛いほどわかるにしても、なぜ引率の教師がそうではないと教えなかったのであろう。清正と伊藤博文をもって盗賊の象徴的代表者であるとするのは大いに賛成するが、しかしこの二つの象徴だけが日本と朝鮮との関係のすべてではない。
いまの京都市の市内と郊外は、かつて山城国とよばれていた。」平安遷都以前に於いてこの山城平野を開拓したのは朝鮮からの渡来者であった。かれらを秦氏と言い、太秦を首都(ソウル)としていた。
その隆盛期に出た秦河勝(はたのかわかつ)は政治家として聖徳太子の経済的なパトロンであり、太子のために太秦に広隆寺をたて、いわば別荘として提供した。
その秦氏はその部族の工人につくらせたか、本国からもってきたかしたものがこの日本でもっともすぐれた塑像とされている弥勒の半跏思惟像なのである。
侵略というこの凶凶(まがまが)しい関係のほかにそういう関係も日本と朝鮮とのあいだに濃厚にある。
たとえばその秦氏は決して虐待されていない。上古ではこの氏族から大臣も出たし、その後も豪族として大いに栄え、その支族は山城と播磨(兵庫県)にひろがり、はるかにくだって戦国の大名である土佐の長曾我部元親の長曾我部氏も本姓ハ秦氏ナリとみずから称しており、いずれにしても上代から中世にかけての日本の氏族のなかで、この朝鮮系氏族はもっとも華やかな氏族のひとつであった。
街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P90
スイス式積極的平和主義 [国際社会]
また大国が安全保障理事会で拒否権を持つ国際連合も、日本の安全を必ずしも保障してくれそうにありません。日本は国際連合に多額の分担金を払いながら、安全保障理事会の常任のメンバーにもなれない。
国連が第二次世界大戦の戦勝国クラブという面を強く維持しようとする限り、頼りにならないことがはっきりしてきました。だとすると日本が国連中心主義的な非武装中立主義を掲げても、それは現実的な選択ではあり得ないようです。
それでは、どうすればよいのか。
敗戦後、戦争に懲りた日本国民は東洋における永世中立国となることを望み、東洋におけるスイスとなることを夢見ました。そのように平和を希求することはまことに結構で、私も平和主義を奉じたく思います。
~中略~
その小国が第二次世界大戦中はなぜ自由主義諸国から尊敬をかちえたのか。それはナチス・ドイツの隣国でありながら、また全国境を枢軸軍の勢力によって囲まれるにいたったにもかかわらず、反ナチスの亡命者を受け入れ彼らを保護し、ドイツ側の圧力に屈せず、毅然として積極的武装中立を貫いたからです。
国民皆兵のスイスは外敵の侵入があれば国をあげて戦う意思を示しましたから、軍事強国のドイツといえどもスイスを敵にまわすことに利益なしと判断し、攻撃しかねたのでしょう。
平和主義を言うなら、このようなスイス式の積極的平和主義を奉じたい。~中略~
自分から先に手を出すことはしないが、侮りがたい力を秘めている日本。そしてその日本の平和を守ることが自由な世界を守ることに通じることを、内外に示さなければいけないと思います。一国主義的愛国主義だけでは不十分です。
日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P62
西欧の革命は権力を打ち砕く運動だった [国際社会]
私たちは、何も宗教に頼らなくても、公正な社会の実現は可能だと考えます。欧米諸国の大半もそうでしょう。
キリスト教会から離れ、宗教から離れることによって、人間は一個人としての自由や尊厳を獲得できたというのが、西欧近代世界のドクマ
といってもいいくらい確固たる信念だったからです。
中世のころ、いや、実際は近代になっても、まだ、教会の力は強く、人びとを縛ってきただけでなく、搾取もしてきました。
これを市民の力で破壊したのがフランス革命ですが、その後、ロシア革命にいたるまで、あちこちでおきた革命は、王権や貴族だけでなく教会の権力を打ち砕く運動でもあったのです。
その歴史を考えれば、西欧の人たちが、教会と国家を切り離さないと近代化も自由化も民主化もできないと信じているのは当然ともいえましょう。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P122
日本隣国の領土論理 [国際社会]
すべて十七世紀のことである。
冒険心に富んだコサックの隊長が配下をつれてやってきて、古来、シベリアに住んでいたアジア人を発見する。~中略~
かれら原シベリア人が抵抗すればそれこそ戦闘がおこなわれるが、普通、そうではなかったらしい。
シベリアの森林で狩猟、河川漁労、遊牧あるいは粗放な農業を営んでいた古アジア人ともいうべきひとびとは、闘争心が強くなく、それにヤクーツク人のように農業をやっていた連中をのぞいては生活形態の点からいっても、土地所有の観念が薄かった。
「これはおれたちの土地だがら、お前たちロシア人はどこかへ行ってくれ」
と主張した連中は、案外すくなかったのではないか、曠野の人であるからむしろ外来者に対して人懐こかった。
~中略~
シベリアの地域地域を発見したかれらコサックたちは、まず堡塁を築いて原住民の襲撃に備えるのが、常だった。
~中略~
なんのために(住人注;毛皮を)差し出すか、という理由はどぎついばかりにハッキリしている。新大陸にやってきた白人もそうであったように、シベリアにやってきた堡塁のロシア人も、高度の殺人技術をもっていたためであった。
かれらは引鉄をひけば雷のような音を発して人を斃(たお)す機械を多数もっていた。それが理由のすべてである。
さらに滑稽なことには、
「納税民を載せている土地は、すなわちわが王朝の所有(もの)である」
という思想が、古来あったことだ。ロシアにも中国にもある。かつてこのシベリアの広大な部分を所有していたモンゴル帝国にもそれがあった。
~中略~
要するにシベリア人の側からいえば、黒貂の毛皮を税金としてとりたてられることは、自分が走っている土地も取り立て側の所有になったということなのである。
~中略~
あたらしい中国は、バイカル湖以東の地域はかつて中国領であった、とする。
それがアイグン条約(一八五八)によりソ連領にされたことを不満とし、これをあらためて解決する用意を怠らずにいる。中ソ不仲の主要要素の一つは領土問題である。
かつて清朝のころ、黒竜江畔に住む狩猟民族の首長がしばしば清朝に貢物をもってきた。
貢物をもってきたということはつまりは中国の領民であり、かれらの住む土地はとりもなおさず中国の属領である、という解釈になる。
貢物とはおそらく毛皮、とくに黒貂の毛皮であろう。
黒貂の毛皮を差し出しにゆく酋長は、その毛皮が後世、大国の論理の上でどれほど重大な意味をもつかは、むろん思いも寄らなかったにちがいない。
「お前は黒貂の毛皮を持ってきた。であるから、お前と黒貂が棲む土地はおれのものだ」
という大国(複数)の理屈は、庶民レベルでは子供の遊び仲間でも通用しない。
ところが国家間の対立の感情や論理は、近代から現代にくだればくだるほど、ときに子どもの遊び仲間以下の内容になる場合がある。
街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P34
戦争はしようと思ったときにはじまる [国際社会]
戦争はしようと思ったときにはじまる。
しかし、終わってほしいと思ったときには終わらない。
[マキャヴェッリ] イタリアの政治思想家・外交官 | 1469-1527
人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
水野敬也 (著), 長沼直樹 (著)
文響社 (2012/12/11)
54
人生はワンチャンス!- 「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法 人生は~シリーズ
- 出版社/メーカー: ミズノオフィス
- 発売日: 2013/07/05
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平和と愛を説くヨーロッパ世界もけっこう暴力的 [国際社会]
キリスト教そのものは、平和と愛を説き、イエス自身も徹底して非暴力の精神で、十字架に掛けられて殺されます。それなのに、キリスト教徒は延々と戦争と暴虐を繰り返してきました。
第一次世界大戦も、第2次世界大戦も、ヨーロッパでは、キリスト教徒どうしの衝突です。
それでも、欧米諸国にはキリスト教徒が多いから、戦争ばかりしてきた、とは誰も思わないのです。
ところが、イスラームの場合には、宗教が暴力的だから信徒も暴力的になると、あっさり信じられてしまいました。
しかし、そんなことがありうるでしょうか。平和と愛を説くキリスト教を信じた人たちが、あれだけ戦争好きだったのです。
イスラムが暴力と冷酷の宗教だったら、いまごろ世界は破滅しています。ムスリムはいまや、世界の人口の四分の一を占めると言われています。その彼らが好戦的だったら、それこそ収拾がつかないでしょう。
イスラームから世界を見る
内藤 正典 (著)
筑摩書房 (2012/8/6)
P11
国際法 [国際社会]
軍使に起源を求められる外交官は、軍人の派生職種であり、相互に公認し合ったスパイなのである。国際法は、スパイのような非合法な存在を否定するが、そのような非合法の存在を想定しているのである。
また、外交言辞(げんじ)において相手の非合法的行為を非難することがあっても、そのような悪徳は当然ながら、自分も行っていなければ主権国家失格なのである。
日本人は「建前と本音を使い分ける」などと非難されるが、これこそ欧州人の「建前」による非難にすぎず、日本人だけがこのような非難をされているという時点で、彼らのほうがむしろ巧妙に使い分けていると考えるべきである。
当時から現代まで、国際法は外交官の武器だが、軍人の論理で成立している。
国際法には、軍事的合理性を抜きにした理想など、存在しないのである。もしそのようなものが外交交渉で国際法の名の下に飛び出したとしたら、誰かが自己の利益のために言いだす場合だけであろう。
~中略~
一方、核軍縮の理想をいかに声高に唱えようと、最強の兵器として存在意義がある以上、小国こそ生存のために開発しようと躍起になる。むしろ核兵器拡散防止条約を推進した当時の核保有国が、どの国の核武装を警戒したかを考えなければ、国際社会の実相など見えないであろう。
日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P94
日本人だけが知らない「本当の世界史」 なぜ歴史問題は解決しないのか (PHP文庫)
- 作者: 倉山 満
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/04/03
- メディア: 文庫