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なぜ祈る [宗教]

P84
貴人に向かってはいえないような義に反した言い方で「もしも願いが成就したなら、鳥居を寄進し、社の修復をさせていただきます」と祈願したら、受け入れるかどうか躊躇(ちゅうちょ)する浅ましい神が存在するだろうか。
そういう神はいないと高をくくって非礼なものを奉納し、神を冒瀆(ぼうとく)すれば、いつか神罰を受けるだろう。恐ろしいことだ。「心さえ人としての真(まこと)の道に適っているなら、祈らなくても神が守ってくれる」という意味の北野神社の御神詠(ごしんえい)(心だに まことの道に かなひなば祈らずとても 神やまもらん)もある。
 中国に目を転じても、孔子が重病になったとき、弟子の子路(しろ)が祈禱を打診すると、孔子は「私は、自分の行いを正すために普段からずっと祈っている。だから、病気になったからといって改めて祈ったりしない」(丘(きゅう)の禱(いの)ること久し)と答えたと「論語」(術而(じゅつじ)篇)は記している。
 ※丘(きゅう)の禱(いの)ること久し 孔子の病気が重篤になった。子路は、祈禱をなさいませんかと請うた。
孔子は、「そういう先例があるのか」と尋ねた。「「誄(るい)という昔の詞に天地の神々に祈るとあります」と子路が答えると、孔子は「私は、自分の行いを正すためにずっと祈ってきた。だから、病気のことで祈りたいとは思わない」と答えた。
(子疾(やまい)病(へい)す。子路禱(いの)らんことを請ふ。子曰く、諸(これ)有りや。子路對(こた)へて曰く、之れ有り。誄(るい)に曰く、爾(なんじ)を上下(しょうか)の神秖に禱ると。子曰く、丘の禱ること久し)

P85
礼を欠き義に背く賄賂(わいろ)を、わが国の神々が歓迎するはずもない。神は清浄潔白の源ともいうべき存在なので、神明(しんめい)というのである。
およそ神を信仰するのは、心を清浄にするためだ。ところが、礼に反し義に背くさまざまな願いを胸に抱いて、朝に晩にと神社へ足をはこび、さまざまな賄賂の手段を弄して神に祈る。不浄な思惑で神の清浄を穢(けが)す者がいたら、それこそ紛れもない罪人で、神罰を受けるのがふさわしい。

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)
石田梅岩 (著), 城島明彦 (翻訳)
致知出版社 (2016/9/29)

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2016/09/29
  • メディア: 単行本

  

DSC_6301 (Small).JPG丹生川上神社下社


タグ:石田梅岩
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