神社仏閣に行こう [見仏]
P131
かねがね、日本人の心の源泉とは何かと考えていたので、古寺、名刹(めいさつ)に、いまも生きつづける不思議なエネルギーを体感してみたい、それが「百寺巡礼」のはじまりでした。
寺の庭に立ち、堂宇(どうう)の中にはいり、仏像と対面する。そこにはきっと、日本人の精神や生命に、脈々と流れる魂の原型があるに違いない。それに触れることができるのではないかと思ったのです。
P132
はじめは、不安を感じながらスタートでしたが、お寺を巡るたびに、私の心身が充実してきました。五十代から六十代までの体の不調が、少しずつなくなり、回を追うごとに、気力体力が整ってくる感じがしました。
私は、これは神社仏閣がもつ不思議なエネルギーで癒されたいのだといい、みんなにも巡礼をすすめました。
「信仰心からではなく、ただの物見遊山でもいいから、神社仏閣に行くといいですよ。そこは古来、よい気が流れる、いやしろ地なのだから」と。
百歳人生を生きるヒント
五木 寛之 (著)
日本経済新聞出版社 (2017/12/21)
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リアルな死がない時代 [社会]
生の重みが「現実感を失っている」と言われて久しい。イラク戦争やイスラエル軍のガザ地区侵攻など、テレビのニュースで大量の死を日々、目にする。
ゲームの仮想画面では、キー操作で簡単に登場人物の生死を操ることもできる。一方で、家庭ではなく病院で死ぬ人が増え、死にゆく姿を間近で見ていない子どもが増えた。
子どもらの死に対する意識調査をしてきた上越教育大学(新潟県上越市)の得丸定子教授(57)は、「身近な誰かが亡くなったとき、大人が死の話題を避けたり強く悲しんでいたりすれば、子どもたちはなおさら「言っちゃいけないんだ」と抑え込んでしまう」と話す。
子どもの心に抑え込まれた悲観は、心身症や自殺の衝動にも、つながりかねない。「泣いていい、話していいんだよ、と大人が言うだけで違ってくる。適切なケアを受けないまま、死別の痛みを引きずり、成長してからも苦しみ続ける人が多い」と得丸さん。
松本短期大学(長野県松本市)の常勤講師、山下恵子さん(47)も「生命倫理」の授業で、自らが三歳の長女を亡くした体験を学生たちに話している。葬儀に「一度も出たことがない」という学生も多いが、「死を子供たちから隠すのではなく、自然な形で教える必要がある」と考えている。
「まずは、子どもを育てる大人自身が、死の受け止め方を学ぶ必要がある」と、長野大学の小高教授は二〇〇九年五月、地域の医療関係者や主婦らといっしょに「上田・生と死を考える会」を設立した。悲嘆のプロセスや「死への準備教育」などを学ぶ勉強会を開いている(→解説32)
大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P162
同じ目線で [対人関係]
国連からスーツ姿の人間がやってきていきなり「さあ、話し合いましょう」と言っても、彼らはまず耳を貸しません。それは当然のことです。もし彼らの立場だったら「こっちは命を賭けて弾の撃ちあいをやっているのに、そのビジネスマンみたいな恰好は何だ」と思うでしょう。
まずは、「こいつと話ができる」と思ってもらわなくてはいけない。ですから、「自分は相手と同じ目線に立っている」ということを態度をもって示します。
たとえば、相手が治安維持などの任務にあたっている兵士であれば、駐屯地で一緒に地べたに座り、軍隊のおいしいとはいえないランチを一緒に食べて、彼らの話にひたすら耳を傾けます。「どういった問題を感じているのか」「どのような想いを抱いて任務に就いているのか」「家族や愛する人たちへの想い」などをお互いに語り、時々一緒に泣いたりします。
そういった行動を通じて、「こいつは自分たち同じ目線でものを考えてくれる」「自分たちの話を聞いて、一緒に解決策を考えてくれる」という印象を刻み込むことができるのです。
交渉プロフェッショナル
島田 久仁彦 (著)
NHK出版 (2013/10/8)
P56

交渉プロフェッショナル 国際調停の修羅場から (NHK出版新書)
- 作者: 島田久仁彦
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/10/11
- メディア: Kindle版
将に五危あり [処世]
故に将に五危あり。
必死は殺され、必生は虜(とりこ)にされ、忿速(ふんそく)は侮(あなど)られ、廉潔(れんけつ)は辱(はずかし)められ、愛民は煩(わずらわ)さる。
凡そこの五つの者は将の過ちなり。用兵の災いなり。
軍を覆(くつがえ)し将を殺すは、必ず五危を以てす。察さるべからざるなり。
新訂 孫子
金谷 治 (翻訳)
岩波書店; 新訂版 (2000/4/14)
P109
キュアからケアへ [医療]
P80
「死の病院化」を経過したあとの在宅医療は、それ以前のものとはまったくちがうものになった、と言いました。
それを表現しているのが、「キュアからケアへ」のパラダイム転換です。
このパラダイム転換を領導する鹿児島市在住の中野一司医師によれば、病院は「キュア(治療)」の場、在宅は「ケア(看護・介護)の場。
病院は死と闘う場、在宅は死を受け容れる場。治療をしなければ医師の出番はあまりありません。医師は病院では主役ですが、在宅では、家族や介護職、看護師に寄り添う脇役になります。ケアの現場では医師は、介護職、看護職など多職種連携チームのワン・オブ・ゼムになりますし、そうなったほうがよいのです。
~中略~
在宅看取りの現場を見ると、最近では「看取りに医師はいらない、訪問看護師でけでじゅうぶんだ」という声もありますし、もっと踏み込んで「看取りに看護師もいらない、介護職だけで看取りができる」という声さえあることは前にお話ししました。
P205
もしかしたら、ケアとは「家族には向かない仕事」なのかもしれません。第三者だからこそ、目の前にいる老人をありのままに受け入れることができる、のかも。
後藤さんもこう書いています。
「家族は、認知症で変わり果てた父親や母親に傷ついてしまう。他人ならば病気だから仕方ないと、調子をあわせられるのだが、家族だとそうはいかない。怒ったりいらだったり叱ったりし、悪循環になることも多い。病気を受け入れて、いままでの関係性を変えるのは、そう簡単ではないし、上手に励ましたり、おだてて行動させたり、ときには嘘も方便で演技をする、などということは家族だからこそ抵抗があるものなのだ」
おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)
朝鮮動乱 [国際社会]
一九五〇年六月二十五日、北方から三八度線を突破して南下した朝鮮軍はわずか三日でソウルを占領し、一週間で韓国軍主力を壊滅し、さらに、一カ月余で国連軍を釜山まで追いつめた。
その後、米軍を主力とする国連軍が仁川に上陸し、ソウルを回復して平壌まで攻めこみ、さらに北進したところ、この年の十月末、にわかに中国義勇軍が朝鮮軍に参加することによって戦勢が再逆転し、国連軍はふたたび潰走して一度は奪還したソウルを再放棄し、南方に退却した。
事実上の米中戦争であったろう。
街道をゆく (2)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P197
DNAの生存が第一 [雑学]
チータに宿っているDNAの配列は、宿主のチータをしてガゼルを殺すように仕向けて、自らの生存を最大化する。ガゼルの体に宿るDNAの配列はその反対の目的を強く推進することで自らの生存を最大化するのである。
しかし、いずれの場合も最大化されるのはDNAの生存である。
遺伝子の川
リチャード ドーキンス (著), 垂水 雄二 (翻訳)
草思社 (2014/4/2)
P150
島根県松江市熊野大社
一流に学べ [処世]
一流の働き方、生き方をしている人と交わり、その思想に触れることで自分に足りないものや、目指す姿が見えてくるのです。
リッツ・カールトン - 「型」から入る仕事術
高野 登 (著)
中央公論新社 (2014/3/7)
P138

リッツ・カールトン - 「型」から入る仕事術 (中公新書ラクレ)
- 作者: 高野 登
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/03/07
- メディア: 新書
チョーキング [言葉]
極度のプレッシャーや不安に対処しきれなくて、パフォーマンスが悲劇的に悪くなる―
こうした状態を「チョーキング」と呼びます。
「チョーク」とは「息がつまる」「窒息させる」という意味。文字通り、パフォーマンスの途中で窒息してしまったかのように、身体が動かなくなる状態がチョーキングです。
ゴルフでは「イップス」と呼ばれることが多いですが、スポーツ心理学ではチョーキングと表現します。
チョーキングが起こりやすいのは、自分自身や周囲の期待が高いときです。
「どうぢても勝ちたい。勝たなければいけない」「勝たなければ意味がない」「見る人を感動させるような最高のパフォーマンスをしたい」・・・・・。
過度に思うと、そういう状態に陥ります。また、自分のパフォーマンスに疑いがあるときにも生じることがあります。
ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」
荒木 香織 (著)
講談社 (2016/2/19)
P124
プライベートタイムを大切に [人生]
「仕事をして、家族の待つ家に帰り、サッカーを見に行きなさい。私は仕事でどうしても必要なとき以外は、土曜日や日曜日にここにいない。
仕事をやりとげるのに必要なことはすべきだが、私は一日の特定の時間や特定の曜日に諸君がどこにいるか監視するつもりはさらさらない。
われわれはみんなプロだから、責任の果たし方を知っている」
タウンホールミーティングでのスピーチ
パウエル―リーダーシップの法則
オーレン ハラーリ (著), Oren Harari (原著), 前田 和男 (翻訳)
ベストセラーズ (2002/05)
P296
失敗を恐れるな [人生]
平常心で臨んでも、いい結果は出ません [ものの見方、考え方]
「平常心で試合に臨む」
そういう言い方をするアスリートもいます。その人が言う平常心とはどのような状態なのかわかりませんが、理論的には平常心という状態は、「興奮の度合いが低く、不安をあまり感じていない状態」のことを指します。
しかし、そういう状態で行われたパフォーマンスは、じつはもっとも完成度が低いのです。これは、科学的に証明されていることです。平常心で臨んでも、決していい結果は出ません。
すしろ、適度に興奮し、不安もある程度抱えている状態のほうがいいパフォーマンスができると言われています。不安があればより集中しようとするし、準備も入念に行わざるをえないからです。
ですから、平常心でいられなくなるとうのはあたりまえで、むしろ好ましい傾向と言えるのです。
ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」
荒木 香織 (著)
講談社 (2016/2/19)
P44
IBS(過敏性腸症候群) [医学]
もともと、現在IBS(住人注;過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome))と呼ばれるような病気があるのではないかと概念的に考えられ始めたのは、アメリカの南北戦争の時である。
南北戦争の時、兵士の中に極端な腹痛や下痢など強い消化器症状のために前線に出られないという人が続出した。
当時、アメリカ陸軍省の医務官だったダ・コスタが神経が原因で消化器症状が出ることがあることを報告し、神経性の大腸症状という概念が誕生したのである。
戦争は、通常では考えられないほどに極度のストレスが生じる状況である。このため、戦争を契機として、新しい病気の種類が提案されることがあるのだ。
たとえば、外傷後ストレス障害(Post-traumatic Stress Disorder:PTSD)もベトナム戦争の時に概念化された。
内臓感覚―脳と腸の不思議な関係
福土 審(著)
日本放送出版協会 (2007/09)
P32
個性と我 [ものの見方、考え方]
ぼくが桂離宮を撮って三年目のこと、楽器の間の飛石を撮影しているときに、飛石がピントグラスを割って目に突き刺さるように見えた。
あ、写るというのはこれだな、と。
そのとき喜びが足の裏から噴水のように上がってきて頭のてっぺんからビューっと中央に伸びるような体験をしました。
それから自分の写真が変わりました。事務所でそれまでに撮った二千枚くらいのカラー・フィルムを鋏でちょん切り、その後の写真でまとめたのが「桂離宮」(講談社・一九七七年)です。
土門拳の作品は実存に直接アタックしていく写真ですから、学問では探求できない世界。言葉で聞いてわかるというものじゃないんです。
土門さんは「自分が小さくなって消えてしまう写真がいい」といっていますが、~中略~
現代の芸術は作家の主観が出ていることを尊重しますが、土門拳はそんなもの完全に否定した。作家の個性が出ているような写真は失敗作だという考えです。
西川 孟
古寺を訪ねて―東へ西へ
土門 拳 (著)
小学館 (2002/02)
P194
20(Small).jpg)
ファストフィッシュ [社会]
ファストフィッシュ(Fast Fish)は「現代の魚のファストフードを目指す。ファストファッションのように、気軽に楽しめるおいしい魚食という意味」と定義されています。
「ガイジン」化する若者に焦点を合わせた消費拡大策は正しいし、そこを何とかしなければなりません。
しかし、「ファスト○○」というのは、そんなに持てはやされるべきものなのか。グローバル化・大規模化・効率化を徹底的に追及することで低コスト化と企業利益の最大化を図るというのが、ユニクロに代表されるファストファッションでした。それと同じような発想で、水産物の消費拡大を考えるのはどうなのか。
本当に「魚の国のしあわせ」にたどり着けるものでしょうか。
すでにスーパーの水産物売り場では、「ファストフィッシュ」のロゴマークが付いた商品がたくさん並べられています。これらの中には、「安価な輸入魚を骨取り加工し、冷凍・解凍を経て失われた旨味をチーズやガーリックなどのスパイシーな洋風ソースで補った、電子レンジ加熱用のレトルト食品」などもみうけられます。魚本来の旨味が抜け、骨抜き作業で形崩れしたものを結着剤で形を整えているから、魚には合わない濃いスパイシーなソースやタレが必要になるのです。
複雑な加工や国際的な物流にはコストがかかります。しかし「ファスト」であるためには、安く売らなければなりません。当然、原料費は余計に低く、抑える必要があります。多くが安価な輸入物を原料としており、国産で質の高いものはなかなか使えません。コストの低い海外での加工も見られます。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P137
アキサケ [雑学]
日本では昔からサケを「捨てるところがない」といわれるほど大切に利用してきました。北海道を中心に大量に漁獲されるシロザケは、秋になると産卵のために生まれた川に遡上します。
河口付近に仕掛けた定置網で一網打尽にする「アキサケ」は、関東以北の人々にとっては伝統的な馴染みの食材でした。
しかし、現代の日本人が食べている「サケ」は、そのアキサケではなく多くがチリ産ギンザケなどの輸入サケ・マスです。産卵期前なので脂が抜け、色も味も薄くなるアキサケに比べて、輸入ものの養殖サケは真っ赤で脂の乗りもいい。そちらが人気となり、アキサケが食卓に上がる機会はほとんどなくなってしまいました。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P48
あたりまえだけど、中国は日本と違う [国際社会]
養殖の矛盾 [社会]
現在の養殖はとても安定的に利益を生み出せる産業ではありません。現実に、廃業も相次いでいます。
では、なぜ、こうなるのか。それは、養殖の対象となる「価格が高い」はずの高級魚が、養殖が発展すればするほど「価格が安い」大衆魚になるからです。養殖魚がずっと高級魚のままなら、回転寿司では食べられません。
~中略~
利益が大きい養殖には新規参入者が増え、全体の生産量はどんどん拡大していきます。
並行して養殖技術が向上し、生産効率もさらに高まっていく。他方、それを販売する国内市場の規模は限定されているので、やがて飽和状態になり、供給量が需要量を超えるようになると値崩れを起します。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P77
中国2000年の環境破壊 [国際社会]
2000年(平成12年)春、砂塵が北京を襲った。その北京市郊外を視察した朱首相は、かつての草原地帯が砂漠に変貌しているのを目の当たりにした。その光景に衝撃を受け、つい口から北京からの遷都という言葉が出てしまった。それほど中国の砂漠化は深刻な事態となっている。
朱首相が驚愕したのは2000年であり、それ以降もさらに激しく黄砂は発生し続けている。被害は日本、韓国でも顕在化してきた。もう黄砂は春の風物詩などと言ってられなくなった。
現在砂漠となっている黄河流域は、かつて森林の宝庫であった。その証拠が残されている。
1万2000㎞の万里の長城と8000体の人形が埋蔵されている兵馬俑坑である。
紀元前、秦の始皇帝が建設した万里の長城のレンガと、皇帝陵の陶製の人形を焼いた木材量は膨大なものであった。あまりの膨大さに圧倒され、試算する気にもならない。この二つの世界遺産が制作されたという事実が、黄河流域は大変豊かな森林地帯であったことの証拠である。
燃料のための森林伐採による砂漠化は少なくとも2000年以上の年季が入っている。
さらに近代になってからそれが一気に加速された。
日本史の謎は「地形」で解ける
竹村 公太郎 (著)
PHP研究所 (2013/10/3)
P377
近隣諸国条項 [言葉]
第二次大戦やそれ以前の歴史を外交に持ち出す国は私の知る限りこの三国(住人注;中国、韓国、北朝鮮)以外、世界中のどこにもありません。
~中略~
近隣諸国条項
とは平たく言うと「中国、韓国、北朝鮮を刺激しかねない叙述はいけない」という政治的なものです。
子供の学ぶ歴史教科書において、歴史的客観性より「事を荒立てない」を優先するという滑稽な代物なのです。
ただし宮沢官房長官が血迷った結果、と一方的に片づける訳にもいきません。その後三十年近くもこの条項が存続しているという事実は、国民の多くがこれに違和感を持っていないことを意味するからです。だから問題は深刻なのです。
日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P54
価格の向こう側 [社会]
モノの価格とは不思議なものだ。その高さを自慢する場合もあれば、いかに安く買ったかを競うこともある。まさに評価はその時と場合による。
~中略~
「お客様のために」を旗印に、価格競争を競う流通。その裏で、命の糧を生産する一次産業に後継者がいない最大の理由は、食べ物を作る人が食えない状況にあるからだ。「外国と仲良くしておけば、いつでも買えるさ。」という考え方もあるが、将来日本に米を作り、魚を捕る能力、すなわち「自給力」がある人々がいなくなれば、農地はただの地面であり、海はしょっぱい水にすぎない。国力は衰え、量の安心・安全は確実に揺らぐ。
食卓の向こう側〈第12部〉価格の向こう側
西日本新聞社 (2009/09)
P4

食卓の向こう側〈第12部〉価格の向こう側 (西日本新聞ブックレット)
- 作者: 西日本新聞社「食くらし」取材班
- 出版社/メーカー: 西日本新聞社
- 発売日: 2023/08/26
- メディア: 単行本

漁業権 [言葉]
大陸国アメリカやロシアでは一般的に海は身近ではなく、海の利用をめぐるトラブルなどはあまり起らないようです。しかし、海で遊び、自分で魚や貝を獲って食べたいという欲求は、日本人にとってごく自然な感情で、健全なものです。
その欲求を制限する日本独自の制度が、漁業法、そして漁業権です。これら海の利用についてのルールを定めた制度については、ほとんど理解されていないためにトラブルが多発し、漁業者と市民が幾度となく対立してきました。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P22
水産物の流通 [社会]
まず漁業者が漁獲物を漁港に水揚げします。それを漁協が受け取り、漁港内にある荷捌(にさば)き所で競売(セリか入札)を行います。
競り合うのは「買受人」と呼ばれる業者たちで、干物や缶詰などの原料を仕入れる加工業者、地元の消費者に販売する小売店、他に転売する「仲買人」などがいます。セリでは他の業者よりも高い価格を提示しないと欲しいものが買えないので、彼らの競争はシビアです。
漁業者はセリで売ったお金をもらい、そのうち5%程度を手数料として漁協に支払います。~中略~ ここまでが「産地卸売市場」になります。
さて店売目的で水産物を購入した仲買人のうち、消費地に水産物を出荷していく業者を特に「出荷業者」と呼びます。出荷業者はセリで落札した水産物を「目利き」し、それが一番高く売れそうな全国の「消費地卸売市場へと出荷します。彼らは全国各地の消費地卸売市場における相場情報を常時収集し、その魚をどの市場に出荷すれば一番高く売れそうか、を的確に判断します。
出荷された魚を消費地卸売市場で受け取るのが「荷受」(卸売会社)です。荷受は全国の出荷業者から、消費地で食べられる大量かつ多種多様な水産物を毎日集めています。例えば築地市場は、東京都民のために魚を集める国内最大の消費地卸売市場です。
そこで二回目の競売が行なわれます。出荷業者はセリで決まった売上金額を手に入れますが、そのうち5~7%程度を、セリの手数料として荷受に支払います。~中略~
消費地卸売市場での競売に参加する業者の多くは「仲卸」と呼ばれる業種です。仲卸は卸売市場内に小さな店舗を構え、競り落とした水産物をそこで販売します。一般人がそこで買うことは禁じられていて、許可を与えられた「買出人」(小売業者や寿司屋などの飲食店)だけが、仲卸の店舗で水産物を買うことができます。
~中略~
各業種の中で厳しい競争があることで高い品質と公正な価格が守られ、経路全体としての効率性が高められています。漁師と個々の消費者の双方にとって信頼できる公共インフラと言えるでしょう。多くの食品流通研究者に「近代の傑作」(例えば秋谷重男「中央卸売市場」、日経新書)と称される所以でもあります。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P97
魚食文化の崩壊 [社会]
そこまでして、ウナギを食べなければならないのか。「食べられなくなる」と騒ぐ前に、そもそもの前提を考える時期ではないでしょうか。
もともとウナギは自然の川の賜物で、希少な天然資源でした。美味しかったので、値段も高かったのは当然です。しかし高価格に惹かれて、日本で養殖が開始されました。~中略~
食文化を守るために、養殖業者は規制を順守する。私たち消費者は、厳しい状況で踏ん張っている業者を応援するために、すこしぐらい高くても国産ウナギを選んで食べる。
行政は、早急に河川環境の回復に努める。未来にウナギという食文化を遺すには、そうやってみんなが少しずつ努力するしかないのです。
日本人が知らない漁業の大問題
佐野 雅昭 (著)
新潮社 (2015/3/14)
P14
糖質中毒 [養生]
コーラなどの甘い清涼飲料水が糖分を多く含むことはわかるとして、注意が必要なのはいかにも健康に良さそうな商品です。
代表的なところをあげたただけで、ウイダーinゼリー・エネルギーに45グラム(角砂糖11個分)、C.C.レモンに50.5グラム(角砂糖12個分)、デカビタCに28.3グラム(角砂糖7個分)といった具合に大量の糖が含まれています。
本来、健康な人間の体内には約4.5リットルの血液であり、その中のブドウ糖濃度(血糖値は空腹時90mg/dlです。
つまり、その血液中には4グラム前後のブドウ糖が存在します。それだけあれば十分だから、この数値なのです。
では、4グラムでいいところに、コーヒー飲料などを飲んで、いきなり大量の砂糖がドバーッと入ってきたらどうでしょう。人間の体がまったく想定していなかった、ばかげた事態が起きるのです。
医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68
牧田 善二 (著)
ダイヤモンド社 (2017/9/22)
P28

医者が教える食事術 最強の教科書――20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68
- 作者: 牧田 善二
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
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寡黙なる巨人 [雑学]
もう体は回復しない。神経細胞は再生しないのだから、回復を期待するのは無意味だ。それだけは、この二年の間に思い知った。
ダンテの地獄篇に「この門をくぐるもの すべての希望をすてよ」とあったが、この病気(住人注:重度の脳梗塞)でも同じである。
しかし私の中に、何か不思議な生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。始めのうちは異物のように蠢いているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。
まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用なそいつに気づいた。
私の右足は麻痺して動かないから、私が歩いているわけではない。それでも毎日リハビリに励んでいるのは、彼のせいだと思う。
~中略~
私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。自分の体は回復しないが、巨人はいま形のあるものになりつつある。
彼の動きは鈍いし寡黙だ。それに時々は裏切る。この間こけたときは、右腕に大きなあざを作った。そのたび私は彼をなじる。
でも時には、私に希望を与えてくれる。
~中略~
もとの私は回復不能だが、新しい生命が体のあちこちでうまれつつあるのを私は楽しんでいる。
昔の私の半身の神経支配が死んで、新しい人が生まれる。そう思って生きよう。そうすると萎えた足が、必死に体重を支えようと頑張っているのが、いとおしいものに思えてくる。
寡黙なる巨人
多田 富雄 (著), 養老 孟司 (著)
集英社 (2010/7/16)
P145

多死社会 [社会]
人間は誰しも、遅かれ早かれ、いつかは最後の時を迎える。日本は高齢社会にあるが、次にやってくるのが「多死社会」ということになる。
2016年の年間死亡者数は130万7765人で戦後最多を更新した(厚生労働省の「人口動態統計月報年計」)。
社人研の推計では、2030年に160万人を突破し、2039、2049両年の167万9000人でピークを迎える。その後ももしばらくは160万人レベルで推移する。
その一方で、「多死社会」への備えはいまだに十分とは言えない。死亡者数の増大で懸念されることといえば、斎場や火葬場の不足だが、とりわけ逼迫(ひっぱく)しそうな地域が、高齢化が急速に進むとみられる東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)である。
未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
河合 雅司 (著)
講談社 (2017/6/14)
P104

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)
- 作者: 河合雅司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/06/14
- メディア: Kindle版
死の定義 [哲学]
もちろん、心臓の停止、呼吸の停止、瞳孔の散大といった死の経過は、専門家として確認していきます。
しかし、その死の時間を機械の判断に任せるのではなくて、呼吸が止まったと周りの家族の人たちが納得した頃に、「診察をしてもよろしいでしょうか」と診させていただくようにしています。
家族の人たちにとって、それはけっこう曖昧な時間で、一度呼吸が止まっても吹き返すのではないかと思ってじっと見守っている時間です。
実際に短時間息を吹き返すこともあるわけですが、このように見守るプロセスがあった方が、生体反応が終わったんだということをゆっくり穏やかに受け止めることができるようです。
~中略~
死の定義というのは、その人といちばん深くかかわった人が、「やはり終わったんだな」と思えたときなのかなと思うことが最近は多くなりました。
山崎章郎
玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P90

アンチエージング [雑学]
ここに紹介しただけでも、DNAの損傷あり、活性酸素あり、テロメアあり、カロリー摂取あり。ほかにも、アポトーシスあり、ストレスあり、タンパクの異常あり、と、老化の原因は実にさまざまです。それらが重なり合った現象が老化の本態です。
老化研究が進み、いろいろなことがわかってきていますが、すべてを防ぐなどということは絶対にできないことです。がんのところで述べますが、がんを撲滅するのが不可能である、というのと同じ意味で、老化をなくす、ということは不可能です。
もちろん、ある程度、進行をおさえることは可能でしょう。それが、ご存じアンチエージングです。
TVコマーシャルでもしょっちゅうやっていますし、クリニックもたくさんありますから、相当な需要がありそうです。アンチエージングに関係する学会に講演で呼ばれて行ったら、ミニスカートのおねえちゃんが外車を売っててびっくるしたことがありますから、きっとたくさん儲けてる先生もおられるのでしょう。
もちろん、活性酸素を減らすなど、老化対策という意味だけでなく、健康のためにやったほうがいいだろうということもあります。しかし、老化はある意味で生理的なかていでもあるのです。
アンチエージングをやめろとは言いませんが、大枚をはたいている方は、そのことをふまえて、一度たちどまって考えてみれれてはどうでしょう。
自慢じゃやりませんが、私は毛髪が不自由です。 ~中略~
が、ある日、ふと思ったのです。いつまで続けるのか、と。そして、こんなことをしていいことがあるのか、と。抜け毛はある程度は防げても、着実に毛は減っていきます。主観的には抜け毛が減ったといっても、客観的にはハゲは着実に進行しているのです。~中略~
育毛剤だけでなく、アンチエージング全般に似たようなことが言えるのではないかという気がします。我が国は、高齢「化」社会では、すでに超高齢社会になっています。
お年寄りが健康に生きる、というのは、もちろん大事なことです。でも、アンチエージングがもてはやされる社会というのは、必ずしも健康的ではないように思います。
こわいもの知らずの病理学講義
仲野徹 (著)
晶文社 (2017/9/19)
P098
交流分析16 EO(感情型)の特徴 [医学]
(6)EO(感情型)の特徴(図4-7)
・熱狂的で楽しい,NC(住人注;エイブ・ワーグナーが提唱した機能モデルでは,子どもの自我状態を「自然な子ども(Natural Child:以下NC)]と「適応した子ども(Adapted Child:以下AC」に分ける。 NCは本来の欲求・ニーズに従っているときの自我状態であり,自然に感情を表しているときもこの自我状態である。 P7より)を豊かにもつ,そばにいて面白い
・人と接するときのエネルギーが高い
・子どもっぽい
・五感の心地よさを好む
・他者が心地よく感じることを好む
・気にかけられるのが好き,関心を愛と同等と考える
・自惚れる
・感情を通して事実と判断する(感じたことが事実になってしまう)
・感情が表れやすい,感情が高まりやすい
・人を喜ばせるような服・持ち物を選ぶ
・人間関係は機能的に自発的に人々と関わる,社交的でもてなし上手
・~後略
交流分析にもとづくカウンセリング :再決断療法・人格適応論・感情処理法をとおして学ぶ
倉成宣佳 (著)
ミネルヴァ書房 (2015/4/25)
P192

交流分析にもとづくカウンセリング :再決断療法・人格適応論・感情処理法をとおして学ぶ
- 作者: 倉成宣佳
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2015/04/25
- メディア: 単行本