同文同種に甘えるな [国際社会]
P123
たしかに日中両国は漢字を用いる。ただし、文化の伝統や環境、国民性、風土の違いなどによって、同じ一つの文字にたいして、両国民のもつイメージに、かなりのひらきが生じることもあるようだ。
もしそのひらきが、誰の眼にもはっきりみえるものであれば、かえって問題はすくないであろう。なぜなら、はじめからそう意識して、警戒するにちがいないから。
ところが、大本においては、だいたい同じ意味であり、その枝葉のあたりに、微妙なニュアンスの差があるだけだから、ことは面倒なのである。ふだんなら問題にならないので、誰もがみすごしてしまう。
たとえば、さきになげた「殺す」といことばは、「命を奪う」という意味では、両国民のあいだに誤解のおこる気づかいはない。
―AがBを殺した。
という文章は、日中両国の人は、同じ澄明度(ちょうめいど)で、まちがいなくとらえるだろう。しかしこれが、
―何某を殺せ!
というスローガンになると、すこし事情がちがってくる。
「殺」の字は、中国では意味をつよめるための接尾語としても用いられる。
おもに詩語であるが、愁(うれ)いの気持ちが異常につよいとき「愁殺す」という。
日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険
陳 舜臣 (著)
祥伝社 (2016/11/2)
P129
中国人は戦争中に日本の兵隊のことを、
―東洋鬼(トンヤンクエイ)
と呼んだ。
この東洋ということばも、日中両国ではズレがある。日本では東洋歴史、東洋文明といったふうに「アジア」ということばに似た用法をする。
ところが中国では、南の海ある土地が南洋で、東の海にある土地、つまり日本が東洋なのだ。
したがって「東洋鬼」の東洋は、日本ということで、けっしてスケールの大きな呼び方ではない。中国人向けのパンフレットなどに、「東洋一」などと書いても、「日本一」としか思ってくれない。
この「東洋鬼」は、もともと蔑称である。日本人が中国人のことをチャンコロと呼んだのに似ていた。チャンコロは、中国人(ツオンクオレン)または清国人(チンクオレン)という、あたりまえの呼び方が訛(なま)ったとおもわれるが、語感としては完全に蔑称になっている。
それにくらべて東洋鬼はいつのまにか蔑称になったのではなく、はじめから意識的に用いられた蔑称であった。
P132
日本の鬼才といわれる人たちは、もっとエネルギーに溢れているようにみえる。とても李賀のように、二十七歳ではかなく死んだりしそうもない。
―鬼みたいなやつ。
ということばで日本人が連想するのは、脂ぎって岩乗(がんじょう)な下顎をもち、なんでもバリバリ食ってしまいそうな、眼のギラギラした巨漢である。
中国人がおなじことばで連想するのは、ひょろひょろに痩せ、自分の薄い着物さえ、からだに重そうな足どりで、ふらふらしていて、いまにも消えてしまいそうな人間なのだ。
こんなとき、なまじおなじ文字を使うからいけないのだ、と痛感せざるをえない。
日本人と中国人――〝同文同種〟と思いこむ危険 (祥伝社新書 487)
- 作者: 陳 舜臣
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2016/11/02
- メディア: 新書
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