SSブログ

西洋とキリスト教 [国際社会]

大澤 キリスト教は成立後、いろんな形で社会に浸透し、人びとに影響を与えながら、言ってみれば「西洋」をつくっていきました。しばしば言われる「グローバリゼーション」も含めて、近代化というのは、見方によっては地球的・人類的な規模の西洋化みたいなところがあります。
ですから、西洋世界というものがいかにつくられたかを知ることは、現代を知る上でも最も重要なカギになる。
その西洋世界の根幹にキリスト教があったのは明らかです。

ふしぎなキリスト教
橋爪 大三郎 (著), 大澤 真幸 (著)
講談社 (2011/5/18)
P242

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版

 

-49575.jpg

P269
橋爪 前略~
 中世を考えてみると、封建領主は、ほんとうにローカルな存在で、ここまでがフランスでここから先がドイツ、といったような区別はなく、さまざまな民族やローカル言語が多様にまだらに拡がっていた。そこで共通項になるのは、カトリック教会しかなかった。
 これが中世だとすると、時代が進んでいくにつれて、強い王(キング)が出てくる。ネイションを形成する核になるのが、王です。王は、封建領主と違っている。封建領主は、自分の所領で税を集め、裁判権をもち伝統に拘束されているけれども、所領を治める君主である。
~中略~
これに対して王は、自分の所領かどうかにおかまいなく、ある範囲(領土)を一括して統治する。日本には「一円支配」という概念があって、室町から戦国期にかけて、さまざまな荘園や領主から税金を取る、いわば王みたいなものが出てきて、大名と呼ばれた。ヨーロッパで、それに相当するのが、王(キング)です。
 封建領主や貴族と王とは、すごく仲が悪い。角逐や戦争をくり返しながら、王が勢力を伸ばしていく。イングランドにも、フランスにも、あちこちに王が出てきた。
 ここで教会と王(キング)の関係が焦点になる。教会は王を支援して、戴冠という儀式を考えた。あなたは正統な王です、みたいな証明の儀式です。教会はこうして、少なくとも名目上、王に対する優位を確保した。教会が王よりも優位なら、教会のトップである教皇が命じて、王たちを戦争に行かせる。十字軍みたいなことも可能になるのです。
 イスラムには、この論理がない。イスラムは、あまりにも成功した宗教で、しかも一元的なため、まず教会がない。聖職者もいない。そのトップである教皇もいない。すると、戴冠する主体がいない。ヨーロッパでは、戴冠を教皇みずから行うのでなく、その代理の枢機卿などが行う。カトリック教会は、地域割があって、どの地域にも担当者がいるのです。
 西ヨーロッパでは、カトリック教会が普遍性を、王権がナショナルな地域性を、代表する。この二元体制を前提に、世俗的でしかも絶対的な、主権国家の観念が育まれることになった。

 

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/09/28
  • メディア: Kindle版

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント