須磨寺 [見仏]
私は、はじめて須磨寺というものをみたが、ひどく想像とはかけはなれた寺だった。
「そうでしょう」
と小池さん(副住職の小池義人氏)は笑いながら、
「どなたも、始めてこられた方は、そうおっしゃいます。きっと奈良の郊外にあるようなものさびた古寺を想像されていたのでしょう」
堂々たるガランなのである。宗教活動をすでに停止してはるかな歴史の遺物と化してしまっている大和の古寺とは、まるでちがう。
遺物には、遺物のうつくしさがあり、古格があり、みずみずしい詩があるのだが、私の想像ではとっくのむかしにそうなっているはずの古寺須磨寺は、まるできのうきょうの新興宗教のようになまなましく息づいている。
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P58
須磨寺
P59
須磨寺は、死山ではなく、行ってみると肉山だった。あたらしいコンクリート造りの宝物殿も建設中だったし、その背後には、やはり耐震耐火建築の納骨堂がたっていた。寺は、十分に生き、活動しているのである。
(昭和36年11月)
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