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親鸞と道元 [宗教]

五木 なるほど。話を整理しますが、親鸞と道元が同時代に生きたということと同時に、両者には共通点がありました。
まず、両者とも比叡山に入った。それから幼少で母と別れた。上級、下級の違いはあれ貴族の出身であった。そして中退して山を下りた。そして比叡山にいるときに非常に大きな疑惑というか疑義にとらわれた、疑いを心に抱いた。
 道元の場合には、山川草木悉有仏性といって、すべてのものに最初から仏性があるというのなら、改めてそこで厳しい修行をする必要があるのだろうかという疑義だった。
 一方の親鸞の場合には、どんなに修行をしてもしても、仏に出会えない。常行念仏をやろうと、回峰行をやろうと、仏の姿を見ることができなかった。
念仏の中で、仏の姿をありありと見ることができる、出会うことができるという観想念仏というものが、彼にはできなかったようです。

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P50


DSC_5425 (Small).JPG戸上神社 内満隆寺

P56
五木 道元禅師と親鸞聖人の共通性をいくつかあげましたけど、大きくちがうのが、まず、戒律に対する態度ですね。
当時の仏教界にあっては、戒律、戒律といっているけれど、実態は誰も戒律を守っていない。実際、僧侶が貴族の館などに招待されて行けば、魚も出れば肉も出る、それを袈裟を外せば問題なしなどという理屈をつけて、平気で食べる。
肉食妻帯どころか、密かに女性を囲いもする。加えてその当時は、比叡山に限らず、男色は当然という文化だったわけですからね。
 そうした中で、煩悩具足のわれわれ凡夫には、とうてい戒律なんかは守れない、守れないなら、守っているふりをするような偽善的な振るまいをやめよう。そして自らの悪を深く自覚してたのめ、というのが親鸞の立場です。ところが道元の立場は、守れていんだったら、守ろうじゃないかというほうですよね。

P109
立松 鈴木大拙の「日本的霊性」で、日本に仏教が確実に根づいたのは、浄土真宗と禅の二つがあったからだという指摘をしているんです。
鈴木大拙は禅者のですから禅が入るのはわかりますが、民衆一人ひとりの心の中に入っていたのは浄土真宗ですよね。
五木 なるほど。
立松 僕は親鸞聖人の時代というのは、仏教が本当に土着したというか、日本人の血肉になっていった時代だと思います。それまでは民衆に仏教が届いてなかったのかと、歴史を考えると不思議な感じがするんですね。だけど届いてはいなかったのでしょうね。


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